31


 その翌日――
 昨日、熱のある時に家を抜け出したりしたせいだろうか、お母さんが仕事を休んで、一日中看病してくれた。
 相変わらず、どこかよそよそしい雰囲気ではある。
 その理由を思い出してしまったために、お母さんと目を合わせるのが少し辛かった。
 母親として娘を守れなかった罪の意識が、お母さんを嘖んでいる。
 謝ろうにも、肝心のあたしはそのことを記憶から追い出している。
 忘れているなら、そのままにしておいた方がいい。だけど、罪の意識は消えない。
 あたしの顔を見ることは、お母さんにとっても辛いことだったのだ。
 自分が愛して伴侶に選んだ相手が、実の娘に性的な悪戯をしていた――そのことを知った時、お母さんはどう感じたのだろう。
 きっと、いろいろな葛藤があったに違いない。どうしたらいいのか悩んでいるうちに、その行為は最後の一線を越えてしまった。
 そして、両親は離婚した。
 ……最後にお母さんは、あたしを守る道を選んでくれたのだ。


「……熱は、ずいぶん下がったみたいね」
 夕食のお粥とデザートのモモ缶を食べ終えて、また横になったあたしの額に、お母さんが手を乗せる。
 どうして風邪の時にはモモ缶なんだろう……と、どうでもいいようなことを考えていたあたしは、ふと気づいた。
 お母さんに触れられたのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。
 なんだか、懐かしかった。
「明日もう一日、寝てなさい。……私も、家にいるから」
「でも、お店は……?」
「二日くらい、私がいなくても平気。若い子たちだけでもちゃんとやってくれるわ」
 お母さんは、新宿でスナックを経営している。『ママ』が二日も続けて休むなんて、お店にとってはいいことじゃないと思うんだけど。
「お店といえば……あなた、美作百合子先生のファンなんだって?」
「えっ?」
 突然、お母さんの口から意外な名前が出てきて、あたしは大きな声を上げた。
 美作百合子先生……公美さんのペンネーム。どうしてお母さんが、その名前を知っているのだろう。
「サイン会に来てくれてたって、話してたわ」
「……お母さん、公……み、美作先生のこと、知ってるの?」
「時々ね、お店に来てくれるお客さんなの。いろいろ話をしていて、あなたのことも話したんだけどね。ほら、あなたの名前ってちょっと珍しいじゃない? それで、以前話題に上ったことがあったんだけど」
「……」
「この間お店に来た時、サイン会に来てくれてたって仰ってたわ。名前を見てすぐにわかったって」
 知らなかった。
 公美さんが、お母さんのスナックに行ってたなんて。
 それも、常連さんだなんて。
 そんなこと、公美さんは一度も言ったことがなかった。そもそも、あたしはお母さんの店だって教えたことはない。ただ、水商売で夜中過ぎなきゃ帰らない、としか言っていない。
 なのに、どうして。
 まさか……
 まさか。
 あたしは、ひとつの可能性に思い当たった。
「……ね、く……美作先生が最初にお店に来たのって、いつ?」
「え? 今年になってからよ。ほら、以前からよくうちにいらしていたミステリー作家の近藤滝雄先生が、作家仲間を何人か連れてお見えになったことがあって、その時にけっこう話が合ってね、以来、一人でも時々来てくれるの」
「今年になってからって……、正確にはいつ頃のこと?」
「たしか五月……ゴールデンウィークが明けた後だったわ。あなたが美作先生のファンだって知っていたら、最初にサインをもらってきてあげたのにね」
 五月、おそらく中旬。
 卵が先か、鶏が先か。
 公美さんがあたしの前に初めて姿を現したのは、今年の五月下旬だ。
 偶然だろうか。それとも……
 あたしが考え込んでいると、お母さんが言った。
「ねえ、美作先生と会ってみたくない?」
「え?」
「サイン会なんかじゃなくて。先生に直に会って、お話ししてみたくない?」
「あ……」
 お母さんは、あたしと公美さんの関係を知らない。
 だから、あたしが喜ぶと思って言ってくれている。
 少し強張ったような笑顔で、あたしを見ている。
 それで、わかってしまった。
 お母さんはずっと、あたしに謝りたかったんだって。あたしに謝罪して、許してほしかったんだって。
 だけど、あたしはお母さんのことを無視し続けていて、あの事件のことは記憶から追い出してしまっていた。
 あたしとお母さんの間には、ただ、修復できないギクシャクとした関係だけが残っていた。
 美作先生の話題は、願ってもない「あたしに話しかけるチャンス」だったのだろう。
 お母さんの切ない想いが伝わってきて、胸がぎゅうっと締め付けられるような気がした。
「今度、先生にお話ししてみるわ。前もって先生が来る日がわかっていれば、その日にあなたもお店にいらっしゃいよ」
 必死に機会を作ろうとしている。これが、母と子の関係を取り戻す最後のチャンスとばかりに。
「……高校生はスナックに行っちゃいけないんだよ」
 あたしは冗談めかして言った。笑おうとしたけれど、お母さんと同じように少し引きつった笑みになった。
「……もちろん、学校にばれなきゃいいんだけどね」
 お母さんの笑顔が、少しだけ柔らかくなった。



 困ったことになった。
 あんな約束をしてしまった以上、しばらくは公美さんと会わないようにしようと思っていたのに、そうもいかなくなってしまった。
 会って、いろいろと話したいことがある、訊きたいことがある。
 できれば、お母さんのお店で会う前に。
 仕方なく、風邪が治った次の土曜日に、公美さんの家へ行った。
 もちろん今日は、公美さんにお母さんとのことを問いただすのが目的で、あの『約束』を果たすためではない。
 だけど、一応。
 家を出る前に、念入りにシャワーを浴びた。
 一番お気に入りの下着を着けた。
 少し、お化粧もした。
 服は、以前ロマネ・コンティをご馳走になった日に、公美さんに買ってもらったものを選んだ。
 ……別に、期待しているわけじゃない。
 一応、念のため、万が一のため。
 そして、公美さんのマンションを訪れた。
 ドアの横のインターホン。
 二度、三度と深呼吸して、ボタンを押した。
 応答があるまでの数秒間が、すごく長く感じた。
 心臓が、大きく脈打っている。
 土曜日の午後、マンションの廊下はしんとしていて、自分の鼓動の音が聞こえそうな気がした。
『はい、どなた?』
 インターホンから聞こえてくる、公美さんの声。
 あたしは大きく息を吸い込んで、その割に小さな声で言った。
「……あたし」
 同時に、ドアの向こうからドタバタという足音が近づいてきた。
 ドアが勢いよく開いて。
 いきなり中に引っ張り込まれて。
 力いっぱい抱きしめられて。
 ――唇を奪われた。
「ああ、もう、待ち遠しかったわ」
 公美さんの手は、もう、あたしの胸を弄んでいる。
 あたしは慌てて公美さんを引き剥がそうとした。
「ちょ……ちょっと待ってよ!」
「待てな〜い」
「……だからって、玄関でってことはないでしょ!」
「じゃあ、すぐにベッドへ……」
「ちょっと待って!」
 公美さんの身体を無理やり押し返して、できるだけ強い口調で言う。それでようやく、公美さんもあたしの話を聞く気になったようだ。
「ここまで来ておいて、今さら怖じ気づいたわけじゃないんでしょ? 私、もう我慢できないわ」
「……我慢してよ。その前に、ちゃんと説明して」
「なにを?」
「言うまでもないでしょう?」
 公美さんは一瞬だけ、小さく首を傾げた。その顔にはすぐに理解の色が浮かび、困ったように苦笑いしてぽりぽりと頭を掻いた。
「ひょっとして……ばれちゃった? お母さんと話したんだ?」
「……ん」
 あたしは小さくうなずいた。公美さんはあたしの肩に手を置いて、リビングへと招き入れる。
 廊下を歩きながら、あたしは訊いた。
「公美さん、最初から確信犯だったんだよね? たまたま電車で見かけた可愛くて胸の大きな子……じゃなくて、あたしが岡村美鳩だから、あんなことしたんでしょ?」
「お母さん、なにか言ってた?」
 あたしをソファに座らせて、公美さんは飲み物の用意をしていた。キッチンから、リビングにいるあたしに向かって話しかけてくる。
 キッチンまで声が届くように、あたしは少し大きな声で応えた。
「あたしがサイン会に来てたって!」
「それだけ?」
「最初にお店に来たのは五月だって。これはあたしの予想だけど、五月の、初めてあたしと会った日の直前じゃない?」
「……降参、白状するわよ」
 リビングに戻ってきた公美さんが、テーブルの上に、わずかに金色がかった炭酸飲料を満たしたグラスをふたつ置いた。公美さんの嗜好から察するに、中身は多分シードル――リンゴから作った発泡酒――だろう。あたしはグラスをひとつ手に取った。
 公美さんもソファに腰を下ろす。テーブルを挟んだ向かいではなく、あたしの隣に、ぴったり寄り添うように。
「……で?」
「美鳩ちゃんの推理は……そうね、ひとつ間違ってる」
「どこが?」
「あの電車で出会ったのは、確かに偶然じゃない。君が岡村美鳩だから。でも、痴漢したのは、可愛くて胸の大きい子だったからよ」
「……?」
「最初にお店に行った日にね、なんだか意気投合して、閉店時刻を過ぎても二人で飲んでたの。その時にね、君の話題が出たんだ。酔っていたからね、泣きながら話してくれたよ。高校生の娘に嫌われていること、そしてそれは自分の責任だって」
 その場面を思い出しているかのように、公美さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「確かに……ね、ちょっとショッキングな出来事よね。最初は、作家の端くれとして興味を持った。美鳩って名前も素敵じゃない? なにか小説の題材になるかなって、そのくらいの気持ちだった」
「それで……駅で、張り込んでたの?」
「おおよその家の場所と、通っている高校は聞いてたから、どの駅からどの路線を使うのかはわかっていた。あとは簡単、君、顔はお母さん似だものね」
 公美さんがわざわざ「顔は」と断ったのは、体型が似ていないから。お母さんの胸は、むしろ平均よりも小ぶりだ。
 だけど、今はそんなことはどうだっていい。
「……で、君はどうしてそんな顔をしているのかな?」
 公美さんは悪戯っぽく言って、人差し指であたしの頬をつつく。それは、あたしが不機嫌そうな顔をしているから。
「怒ってる? 黙ってたから? それとも、単に小説のネタにするために君をつけ回したと思ってる?」
「違うんですか?」
「それは誤解よ」
 公美さんの笑顔は、優しげだった。とても、嘘を言っているようには見えない。
「確かに、ね。電車で出会ったのは、君が岡村美鳩だから。だけど痴漢したのは、君が可愛くて胸の大きい子だったから、よ」
 言いながら、公美さんの顔が近づいてくる。肩に、腕が回された。
 耳に、唇が押しつけられる。
「駅で君を見た瞬間ね……一目惚れ、だった。モロに好みのタイプで、気がついた時には触ってた。そうしたら、反応もすごく可愛いじゃない?」
 耳たぶをくすぐるようにささやかれる。くすぐったくて、あたしは身体を捩ったけれど、公美さんの手はあたしの肩をしっかりと抱いていた。
 なんだか、身体の芯が熱くなってくる。エアコンが室内を適温に保っているはずなのに、あたしは汗ばんでいた。
「公美さんって……」
「ん?」
「あ、あたしの、どんなところが……好きなの?」
「可愛いところ」
 公美さんは即答する。
「顔も、スタイルも、感じやすいところも、感じている時の声や表情も、全部可愛い」
 答えながら耳にキス。ほっぺたにキス。だんだん、唇に近づいてくる。
 だけどあたしは、公美さんの答えに満足していなかった。
「……それってなんだか、エッチだけが目的みたい」
「そんなことないわ。ただ、セックス抜きの恋愛ができるほど純情ではないっていうだけのこと」
「……ごめん」
 あたしは首を左右に振った。
「あたし、まだ公美さんのこと信用できない。だって公美さん、多分ウソついてる」
「うそ?」
 なんのこと? っていう公美さんの表情。だけど一瞬、視線が泳いだ。
「公美さん、あたしにウソついたことはない。だけど……今のは違う。なにか……ウソっていうか、隠し事してる」
 はっきりとした根拠があるわけではない。強いていえば、女の勘。
 公美さんがあたしにつきまとっていたのには、何かもうひとつ、強い動機が必要だと思った。そうでなければ、納得できない。
 なにかを、隠している。だからあたしは、公美さんの言葉を信じきることができない。
 あたしのことを好きって言う言葉、それは嘘ではないだろう。だけどその言葉の陰に隠されているなにかがある。
 公美さんは、困ったような表情であたしを見ている。あたしも、視線を逸らさなかった。
 やがて、公美さんが根負けした。
「…………降参、今度こそ、本当に」
 ふっと、諦めに似た笑みを浮かべる。
 だから、油断してしまった。次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられて唇を奪われていた。しかも、舌まで入ってくる。
「んっ……んん……っ!」
 一分近くじたばたと暴れて、ようやく解放された。と思ったら、公美さんの手はあたしの太腿へ移動していた。
「……公美さん」
「でも、これ言ったら美鳩ちゃん怒りそうだもの」
「言わなくたって怒るよ」
「……似てる、んだ」
「え?」
 これも、また、不意打ちだった。突然の言葉に、あたしは戸惑った。
「美鳩ちゃん……私の初恋の相手に、似てる」
「初恋の……って、え? でも、え? だって」
 しばらく呆然としていて、ようやく我に返った。今の公美さんの発言の、おかしなところに気がつく。
「公美さんの初恋って……あの、高校の時じゃないの?」
 美作百合子のデビュー作の元になった経験。女子校で出会った、美しい上級生との恋物語。
 公美さんは、実体験だと言っていた。物語の中では、二人ともそれが初恋だった。
 だけど、ヒロインの恋人だった美しくて大人っぽい上級生と、どちらかといえば童顔のあたしと、いったいどこが似ているというのだろう。
 あたしがそのことを指摘すると、公美さんはしてやったりという笑みを浮かべた。
「似てるわよ。立場を逆にすれば……ね」
「逆?」
「必ずしも、ヒロインが私とは限らないでしょ?」
「え……、あっ!」
 やられた、と思った。
 あの本の著者が公美さんで、それが実体験だからといって、ヒロインが公美さんとは限らない。
 あたしは、その可能性を見落としていた。
 公美さんの役どころは『ヒロインが憧れた上級生』なのだ。それを、相手の視点から小説にしたのだ。
 小柄で童顔という設定のヒロインなら、確かに、あたしと似ているかもしれない。
「ドキッとしたよ。あの子の、妹かなにかかと思った」
「あたし、姉も従姉もいない」
「うん。だから、こんな偶然があるんだって驚いた。そして……思ったんだ。今度こそ、この子を私のものにしたいって」
「公美さん……」
 ようやく、納得がいった。
 公美さんがあたしにこだわった理由。
 あたしのことを好きになった理由。
 そして、それを今まで黙っていた理由。
 好きだった誰かに似ているから、好きになる。自分のモノにならなかった、その人の代わりに。
 普通の女の子にとって、それは多分、あまり嬉しいことではない。
 だから公美さんは、秘密にしていたのだろう。
 だけどあたしは、不思議と、そのことを不快には感じていなかった。
 どうしてだろう。自分でもよくわからない。
 ただ、なにが目的なのかわからなかったこれまでに比べると、疑問が解けて、妙にすっきりした気持ちになっただけだ。
「怒っていないの?」
「別に」
 正直に応えると、公美さんはほっとしたような、それでいてどこかがっかりしたような、不思議な表情を見せた。もしかしたら、やきもちを妬いて、怒って欲しかったのかもしれない。やきもちを妬くのは、相手のことが好きな証だから。
「じゃあ……正式に、恋人になってくれる?」
「それとこれとは別。その件については……保留、かな?」
「保留……なのね、否定じゃなくて?」
「ん、一応ね。すぐに否定するのも悪いし」
 ここで即座に否定するほど嫌いじゃない。だけど、素直にうなずく気になれなかったのも事実だ。
 正直なところ、彼氏イナイ歴十六年のあたしには、恋人って言われてもいまいちピンと来ない。
 仲のいい友達と恋人との境界はどこにあるのだろう。同性であれば、それはなおさらわからない。
「じゃあ……さ」
 公美さんが、あたしの顔色をうかがうように言う。
「あの、約束は……?」
「約束? なんのこと?」
「美鳩ちゃん!」
 白々しくとぼけると、公美さんはいきなりあたしを押し倒した。
「ずるい! 約束したのに!」
「でもなぁ、どうしようかなぁ……」
 公美さんが泣きそうな表情を浮かべているので、つい意地悪を言いたくなる。
 もちろん、本気ではない。
 今日は家を出る時から、それを覚悟して来ているのだ。
 自分から進んで、されたいわけじゃない。だけど、約束は約束だ。
 それに、いまさら特別なことではないだろう。
 公美さんには、これまでもいろいろとエッチなことをされている。それに、あたしはもう……バージンではないのだ。別に、一度くらい最後までさせてあげること自体に問題はない。
 そして。
 本音を言えば、あたしも、したくなってきていた。
 ずっと、公美さんと寄り添って座っていたためだろうか。身体が火照って、女の子の部分が潤いを増しているのがわかる。
 身体が疼くって、こんな感じなのだろうか。公美さんに触って欲しい、気持ちいいことをして欲しい――だんだん、そんな想いが強くなってくる。
 ソファの上であたしを押し倒した公美さんは、顔中にキスの雨を降らせて、服の上から胸を揉んでいる。ブラジャーの中で、乳首が固く尖るのを感じる。
「正直に言いなさい。美鳩ちゃんだって、したいんでしょう?」
「……あっ!」
 胸を愛撫していた手に力が込められて、それが気持ちよくて、声が漏れてしまった。
「嘘ついたってわかるんだから。もう、したくてしたくてたまらなくなってるでしょ?」
「ち……がう、もん」
 口先だけの否定は、もちろん公美さんには通じない。
 スカートをまくり上げられて、パンツの上から割れ目を撫でられて、それだけであたしは、イキそうなほどに昂っていた。
 じわっと、身体の奥から蜜が溢れだしてくる。お気に入りの下着に、エッチな染みを作ってしまう。
 もう、止められなかった。
 身体が、快感を与えられることを望んでいた。胸も、下半身も、じんじんと熱くなって、しかもそれが加速度的に強くなってくる。
 したい。
 エッチしたい。
 触って欲しい。感じさせて欲しい。
 今まで感じたことのない、強い欲求だった。あたしは、公美さんにぎゅっとしがみついた。
「ヘンだよ……今日のあたし、なんかヘンだよ……。すごく、したくなっちゃってる」
「それは、美鳩ちゃんが私のことを大好きだからよ」
「ちがう……もん。そんなんじゃないもん!」
 首をぶんぶんと振る。
 認めたくはない。そんなの、認めたくない。
 だけど、この激しい衝動はなんなのだろう。
 確かに、公美さんに愛撫されるのは気持ちいい。あたしの身体はそのことを知っている。だからといって、本格的に触られる前からこんなに熱くなるなんて、今までになかった。
 あまりにも不自然だ。
 公美さんの言う通り、あたしは、そんなにも公美さんのことが好きなのだろうか。そんなはずはない、と思いたい。
「……ヘンだよぉ。あたし、ヘンなの……どうしちゃったの? 公美さぁん……あたしに何したの……?」
「……」
 一瞬、公美さんが視線を逸らした。
「……って、なんでそこで黙るのよっ? ホントに、何かしたの?」
「あは」
 公美さんがぺろっと舌を出す。
「先刻の飲み物の中に、ちょっと……ね」
「――っ!」
 それはつまり、媚薬とかなんとか、そんなものを入れたということだろうか。
 だから、こんなにも身体が火照っているのだろうか。
「なっ、なっ、なっ……」
 驚きと怒りのために、なかなか言葉がでてこない。
「なんでっ、なんでそんなことっ?」
「だって、ほら。万が一、美鳩ちゃんが約束を破った時のための保険というか……」
「ばかっ! もう!」
 迂闊だった。いつもは正面から実力行使の公美さんが、こんな裏技を使うなんて。
 あたしのグラスはすっかり空になっている。いったい、どんな薬がどのくらい入っていたのだろう。
「それもこれも、美鳩ちゃんのためよ」
 公美さんは悪びれずに言う。
「どこがっ!」
「美鳩ちゃんは、私に気持ちイイことして欲しいと思っている。だけど、素直にそれを認めることに反発を覚えている。だから、言い訳できるようにしてあげたの。クスリを盛られて、自分の意志とは関係なしに身体が疼いて仕方がない、だから、仕方なく私に抱かれる。不可抗力ってこと。それなら、君も納得できるでしょ?」
「納得できるわけないじゃん! まったく、なに考えてるのよ!」
「どうやったら、美鳩ちゃんとイイコトできるか……それしか考えてない」
 また、強く抱きしめられた。
 胸が圧迫されて、乳首が刺激されて、痺れるほどに感じてしまう。
「う……ぁ、ば……かぁ」
「いつまでもこのままじゃ、辛いでしょう? 私が、楽にしてあげる。うんと気持ちよくさせてあげる。だから、おとなしく言うことききなさい」
 呪文のように、耳元でささやく声。
 抗いがたい魅力を秘めた声。
 もう、抵抗はできなかった。
 公美さんの言う通り、理由ができてしまったから。
 こんなに欲しくなっているのは、薬のせいだから。公美さんが無理やりしたことで、あたしの意志じゃないから。
 だから今だけは、公美さんの誘惑に負けても仕方がない。
「……公美さんのバカ! ……させてあげる……させてあげるから、うんと気持ちよくして!」
 あたしも公美さんに抱きついて、自分から唇を重ねていった。



<<前章に戻る
次章に進む>>
目次に戻る

(C)Copyright 2000-2002 Takayuki Yamane All Rights Reserved.