20


 平和な日々は、三日しか続かなかった。
 翌日は、いつもの電車に公美さんの姿はなくて。
 次の日は、何もせずにただあたしの隣に立っていただけ。
 だけど。
 その次の日は、手で触りこそしないものの、なんだか必要以上に身体をすり寄せてきて。
 さらに次の日。あたしの方が根負けしてしまった。
 三十秒おきに「ねぇ、触っちゃ駄目? 少しだけ」なんて訊かれたら。
 それでも最初のうちはちゃんと「ダメ」と答えていたけれど、いい加減それも面倒になってきた。「ね、ちょっとだけ。いいでしょ?」って、しつこく懇願する公美さんの姿を見ていたら、なんだか馬鹿馬鹿しくなって、もう、どうでもいいやって気になった。
「……勝手にしたら?」
 降りる駅に着く少し前、あたしは素っ気なく言った。間髪入れず、手がお尻に伸びてきた。
 あたしは軽く溜息をついて。
 そして、いつもの日常が戻ってきた。
 その日の夕方。
 駅で公美さんが待ち伏せしていて、新しいジノリのカップを買ってくれた。



 ある日の放課後。
 学校帰り、ちょっとした買い物があって寄り道していたあたしは、見覚えのある女の子を見かけた。
 すごく、綺麗な子だった。
 近くにある有名なお嬢様学校の制服を着て、長いストレートの黒髪は腰まで伸びている。どこかで見た顔……と少し考えて、はたと思い出した。
 公美さんが掴まった時、一緒にいた女の子。確か、笙子って呼ばれていた。
 向こうもこちらに気付いたらしい、一瞬驚いたような表情を浮かべて、小さく頭を下げた。
「……あ、えっと。この間は、どーも……」
「あ……と、その、なんだか余計なことをしたみたいで……すみません」
「あ、ううん。そーゆーわけじゃないんだけど……」
 どう説明したらいいものかわからなくて、そのまま口ごもる。笙子も気まずそうにもじもじしていたが、やがてなにか決心したように訊いてきた。
「あの、間違ってたらすみません。あの……、あなた……えっと」
「美鳩。岡村美鳩」
「私、菱川笙子です。それで、あの……あの人、美鳩さんの……恋人、なんですか?」
「はぁ?」
 思わず、大きな声で聞き返した。一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。
「その……電車の中で、……痴漢ごっこをしていたとか……?」
「な、なに言ってんのよ。バカなことを」
 なにを言い出すかと思ったら。笙子って、真面目そうな外見の割にとんでもない思考回路をしている。
 でも。
 よくよく考えてみれば、事情を知らない第三者にはそう見えたかもしれない。とはいえ……。
「ば……バカバカしい。そんなことあるわけないじゃん。恋人? 女同士でなに言ってんのよ」
「……お、女同士だっていいと思います」
 あたしが鼻で笑い飛ばすと、急に笙子が強い口調になった。やや気分を害したようにも見える。
「人間の恋愛は、繁殖のための本能とは違う、もっと精神的なものです。あ、相手が同性っていうのも、ありだと思います」
「……」
 あたしは意外に思って笙子を見ていた。こんな、強い物言いをする子とは思わなかった。
 なにか、違和感がある。
 どうして笙子は、こんなに怒っているのだろう。
 考えながら、瞬きを一回、二回。
 ふと、天啓のようにひらめいた。
「笙子って……もしかして、あの、進藤先生のことが……?」
 図星、だった。
 たちまちのうちに、笙子の顔が真っ赤になる。頭から湯気を立てて俯いてしまった。
 なるほど。自分が同性愛者だからこそ、女同士なのに恋人なんて発想が浮かぶのだろう。
 面白そうなことになってきた。
 なんとなく興味を惹かれて、あたしは詳しい話を訊くために、笙子を近くのハンバーガーショップへ連れ込んだ。


「……で、さあ。笙子と進藤先生って恋人同士なの? それとも、あんたが一方的に憧れてるだけ?」
 コーラのストローをくわえたまま、あたしは好奇心のままに訊く。笙子は相変わらず真っ赤になって俯いていた。
「ね、教えてよ」
「……お、お付き合い、しています……。あ、あのっ、でもっ! な、内緒にしてくださいね」
 笙子が何度も念を押す。
 確かに、教師と生徒で交際しているなんて大っぴらにできることではないし、それが同性となればなおさらだろう。
「でも、なんな信じらんないなぁ。女同士でそんな……」
「せ、性別とか関係なしに、沙紀さんはすごく素敵な方なんです! きっと、誰だって好きになっちゃいます。学校でも人気があって、私いつもやきもきしてるんですもの」
「それはそれは……」
 あたしは苦笑した。これがいわゆる、のろけってやつだろうか。
「だからって、教え子に手を出す教師ってどうかなぁ」
「ち、違いますっ!」
 進藤先生のことになると、笙子はすぐむきになる。
「知り合った時は、まだ沙紀さんは先生じゃなかったんです」
「ふぅん。それで……」
 あたしは、一番気になっていた質問を口にした。
「あの、さ……女同士で、エッチ……とか、するわけ?」
「えっ、あ、あのっ」
 それきり、笙子は黙ってしまう。答えは必要なかった。この、茹で蛸のような赤い顔を見れば一目瞭然だ。
 でも、ちょっと意外。
 笙子って良家のお嬢様風で、真面目で内気そうに見えるのに。
 それとも、進藤先生がすごく手が早いんだろうか。
「ね……、女同士のエッチって、どんな風にするの? やっぱ裸になって抱き合ったり、胸揉んだり、舐めたり、ゆ……指入れたり……とか?」
 あたしは声を潜めて訊いた。さすがにこれは、周囲の人に聞かれると具合が悪い。
「えっと、ロ……ローターとかバイブとか、使ったりもするの?」
「……」
 耳まで真っ赤にして俯いた笙子は、それでも微かにうなずいた。訊いているあたしも恥ずかしくなってきたので、最後の質問をする。
「……で、さ。……それって……気持ちいい? 頭の中が真っ白になって、わけがわかんなくなって、もっとして欲しくてたまらなくなったり、する?」
 よほど注意して見ていなければわからないくらい微かに、笙子がうなずいた。それで、あたしも少し安心した。
 同性に触られて感じてしまうのは、あたしだけじゃないんだ……と。
 それにしても、笙子は外見に似ず、ずいぶんと経験豊富らしい。その時になって、笙子の胸の級章に気がついた。二年生、ひとつ年上だ。あたしよりも一年分、多くのことを経験しているということだろう。
「……私にばかり喋らせて、ずるいです。そういうあなたはどうなんですか?」
「え、あたし?」
「美鳩さんと、あの女の人の関係です」
「あ、えっと……」
 返答に詰まった。どう答えればよいのだろう。
 笙子の秘密を聞いてしまったのだから、あたしのことも正直に話すべきだろうか。
 いや、それはまずい。公美さんが本物の痴漢であることがばれてしまう。
 あたしとしても、「痴漢に触られて感じている女の子」「痴漢を庇った女の子」というレッテルを貼られるのは避けたい。
「……友達、かな?」
 あたしは嘘をついた。
「でも、あいつもレズでさぁ。しつこく迫ってくンの。あたしはその気はないから困ってるんだけど、あまり邪険にするのも悪いし……」
「同性だから、ですか?」
「え?」
「嫌いだからじゃなくて、同性だからあの人の想いに応えないんですか?」
 つい先刻まで真っ赤に俯いていた笙子が、まっすぐにあたしを見ていた。また、怒っているような表情をしている。
「え、えっと……」
「それって、ひどいと思います。男とか女とか抜きにして、ちゃんと考えてあげるべきだと思います」
「いや、でも……」
 常識人のあたしには、同性愛なんてそんな簡単に受け入れられるものではない。第一、問題の根本は同性愛じゃない。公美さんが正真正銘の痴漢であることが問題なのだが、それは笙子の与り知らぬことだ。
 笙子は鞄の中から一冊の文庫本を取り出すと、あたしに差し出した。
「これ、貸してあげます。一度読んでみるといいですよ」
「なに、これ?」
「素敵な、恋愛小説です。女の子同士の……ですけどね。でも、本当に素敵なんです。きっと、美鳩さんも偏見がなくなりますよ」
 別にあたしは、同性愛にそれほど偏見を持っているわけじゃないけれど。
 笙子があまりにも真剣なので断るのも悪くて、あたしはその本を借りて家に帰った。



 舞台はとある女子校。
 ヒロインはそこに入学したばかりの新入生で、ひょんなきっかけから知り合った綺麗な先輩が、優しく世話を焼いてくれる。
 いつしか、その先輩に対する想いは単なる憧れとか友情という言葉では言い表せないものに変化していき、様々な葛藤の後にヒロインは胸の内を正直にうち明ける。
 その想いを受け入れてくれる先輩。しかし彼女には、親が決めた許嫁がいて……。


 笙子が貸してくれた文庫は、そんなあらすじだった。
 美作百合子著『三度目の桜』。
 読むのは初めてだが、作家名は聞いた覚えがある。それなりに有名な作家なのだろう。
 綺麗な話だった。
 女性らしい繊細な文体で、思春期の少女の揺れ動く心を、これ以上はないというくらいに美しく描き出している。
 物語そのものは、女同士ということを除けばありきたりかもしれない。しかし、描写が素晴らしいのだ
 あたしは、ラストシーンで不覚にも泣いてしまった。



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