「……どうして、こんなことになっちゃったのかなぁ」
窓の外を後ろへ流れてゆく景色をぼんやりと眺めながら、ミュシカはつぶやいた。向かいの席では、フィーニが口いっぱいにお弁当を頬張っている。
二人は今、マイカラス王国を横断する大陸鉄道の乗客となっていた。窓を閉めていても、燃料のアルコール臭が微かに漂ってくる。
学校は新年休暇である。もっと北の地方では「冬休み」などと呼ぶらしいが、緯度の低いこのあたりでは「冬」という単語が似合うほどには気温は下がらない。ミュシカは生まれてからこれまで、雪なんて写真でしか見たことがなかった。
ではマイカラスが常夏の国かというと、そういうわけでもない。標高が高く空気が乾燥しているために、一年を通じて気温の変化が少なく過ごしやすかった。
シーリア女学園の新年休暇は長い。創設者のナコ・ウェルが、冬の厳しい北国の出身のためだという話だが、生徒にとっては長い休暇を楽しめるのであれば理由はなんでも構わない。
約一ヶ月の休暇。寄宿生も久しぶりに自宅へ帰省して、家族と一緒に過ごす者が多い。しかしミュシカはどうしてか、気がつくとフィーニと二人で旅行に行く羽目になっていた。
寄宿生としては自宅が近いミュシカは、その気になれば週末にだって帰ることができる。だから夏期休暇も新年休暇も、ずっと自宅で過ごすわけではなく、気の向くままに自宅と寄宿舎を行き来することが多かった。今回も、とりあえず家族と一緒に新年を迎えた後でちょっと寄宿舎に戻ったところを、帰省していなかったらしいフィーニに捕まったのだ。
その、そもそものきっかけは、セルタさんのお店に入ったあの泥棒だった。
「つまりさぁ……これだと思うんだよね。あいつらが探していたのは」
事件の翌日、ふと思い出したようにフィーニが取り出したのは、古ぼけた一冊の本だった。いや、それとも日記だろうか。
そういえば二、三日前に、フィーニがそれを読んでいるところを見かけたような気がする。
「なに、それ?」
「リンディード・ドゥ・マーヤの直筆の日記」
「えぇっ?」
ミュシカが大きな声を上げると、フィーニは人差し指を唇に当てた。どうやらこれは、内緒の話らしい。
「リンディードって、……あの、リンディード?」
「そう。あのリンディード」
リンディード・ドゥ・マーヤ。
その名は、ミュシカもよく知っていた。二百年ちょっと前に活躍した有名な考古学者で、探検家で、かつ魔術師だ。王国時代の歴史や魔法理論の研究、そして極地や古代遺跡の探検で、多大な功績を残している人物だった。
その直筆の日記となれば、確かに骨董的、学問的価値は相当なものに違いない。
それにしても。
「なんで、あんたがそんなもの持ってるの?」
リースリング家に伝わっていたものだろうか。だとすると、セルタさんのお店とどんな関係があるというのだろう。
「この間、お店に運ばれてきた荷物に混じってた。倉庫の整理をしていた時に見つけて、面白そうだったから内緒で持ち帰って読んでたの」
「それじゃあんたが泥棒だって。でも、じゃあ、あいつらが倉庫で必死に探していたものは……」
フィーニはにやっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「あたしたちの部屋、あたしの机の引き出しにあったってわけ」
「でも、お店には他にも値打ちものはあるでしょ? なんでそれが目的だって」
確かに、あの男は「日記」という単語に反応していた。これが目的なのは間違いないだろう。だけど、どうしてフィーニにそのことがわかったのだろう。セルタさんのお店は二束三文のがらくたも多いが、びっくりするほどの値打ちものだって数多くあるのだ。それらを無視して日記一冊に固執した理由がわからない。
「そりゃあ、この日記が一番の値打ちものだからよ。それも桁違いの……ね」
そう言うと、フィーニは意味ありげな笑みを浮かべていきなり話題を変えた。
「ねえミュシカ。もうじき新年休暇だけど、なにか予定はある?」
「いや、特には。家で新年を迎えたら、一度こっちに戻ってくるつもりだけど。それが何か?」
「んふふ……」
ミュシカの問いには答えず、フィーニはただにやにやと笑っているだけだった。
「いくら他に予定がないからって、新年休暇に宝探しとはね……」
我ながら馬鹿馬鹿しくなって、ミュシカは肩をすくめた。お弁当を頬ばっていたフィーニが、こちらを見て口を動かす。
「ほふぇふぃふぁふぇ……」
「口にものを入れたまま喋るな!」
ごくん、とこちらに聞こえるほどの音を立てて、フィーニは口の中のものを呑み込んだ。
「……だって、リンディードが日記に書き残した『誰にも知られていない、王国時代の素晴らしい宝』だよ? 放っておけるわけがないじゃない」
「それにしてもねぇ……」
そう。
宝探しなのである。
日記の中には、リンディードが偶然発見した〈宝〉に関する記述があったのだ。それが具体的にどのようなものであるかは触れられていなかったが、「この世に二つと残っていない」「想像もつかないほどの価値を持つ」ものであると書かれていた。好奇心の強いフィーニに、興味を持つなといっても無駄だろう。
ちょうど学校が休暇に入って、セルタさんもしばらく旅行に行く予定があるとかで店を休むことになって、その機会にフィーニは宝探しに行くことにしたのだ。
だからといって、どうしてミュシカまでそれに付き合わなければならないのだろう。なんだかうやむやのうちに、同行することを了承させられてしまったような気がする。
(……いっけど、さ。隙だから)
以前ほど、フィーニと一緒にいることが負担に感じなくなっている。ミュシカに対するフィーニの態度が特に変わったわけではないから、単に慣れの問題かもしれない。
だから、たまには気分を変えて旅行というのもいいかもしれない。
それに本音を言えば、古代王国の宝とやらにも興味がないわけではない。もちろん、そんなものが実在することについては半信半疑だし、実在したとしても女学生二人が休暇を利用して簡単に見つけられるとも思ってはいない。それほど簡単に見つかるものであれば、既にリンディード以外の誰かが見つけている筈だろう。
それでも、もしかしたらという期待がある。夢のある話ではないか。
ミュシカだって魔術を志す者。高度な魔法文明を誇った王国時代の宝と聞けば、無視できるわけがない。それがどれほど夢のような話であったとしても。
二人が向かっているのは、国境の山地に近い田舎だった。ソーウシベツからは寝台列車で二日ほどかかる距離だ。日記に書かれていた宝の在処はその山中で、偶然にも麓の村にフィーニの叔父さんが暮らしていたために、親も女の子二人の旅行を許可してくれたのだった。
大陸鉄道で二日かけて、小さな駅で列車を降りて。
半日バスに揺られて、山間に拓かれた小さな村の入口に着いた。
山の麓の、自然たっぷりの村だ。主な産業は林業と茸の栽培。かなり大きな清流と美しい湖もあって、近年は別荘地としても売り出そうとしているらしいが、まだまだ知名度は低い。
周囲を見ると、山の麓に拓かれた村らしく、林が点在する緩やかな斜面にぽつぽつと人家が建っている、といった光景が広がっている。この村で自然を満喫するというのが、旅行の許可をもらう時に親に説明した口実だった。
ミュシカは顔を上げて、村の向こうにそびえる山々を見上げた。この山のどこかに、リンディードが書き遺した〈宝〉があるという。日記の記述を読む限りでは、村からの距離はそれほど遠くはなさそうだ。二百年以上前、リンディードが生きていた時代には、この村の辺りはまだ鬱蒼とした原生林が広がっていたはずだから、ミュシカたちはリンディードよりもかなり楽ができることになる。
しかも二人が滞在するフィーニの叔父さんの家は、村の山側の端に近いところにあるという。バスや乗合馬車の停留所からはかなり歩かなければならないが、その分、山登りには便利だ。
実はその叔父さんの存在が、ミュシカがこの旅に同行することの決め手になった。王国時代の宝の話だけなら、いくらフィーニが強引に誘ったとしても「そんなお伽噺みたいなこと」と笑い飛ばしていたかもしれない。
「でも叔父さんってちょっと変わり者でね。芸術家なんて言っちゃって、わけわかんない絵を描いたり、オブジェを作ったりしてるの」
というのがフィーニの弁だったが、その名前はミュシカには聞き逃すことのできないものだった。
ジェイクト・フィル・ジーンディル。
最初は、単なる同姓同名の別人かと思った。しかしジーンディルなどという珍しい姓でしかも芸術家なんて、国内はおろか世界中を探しても二人といまい。
一般に広く知られているわけではないが、ひどく印象的な作品を創る若手前衛芸術家として、美術マニアの中ではかなり評価が高い。そういえば、セルタさんのお店にも絵が飾ってあった。そしてミュシカも大ファンなのだ。
フィーニの話に最初は乗り気ではなかったミュシカも、ジーンディルの名を聞いて態度を豹変させた。憧れの芸術家に実際に会えるなんて、しかもその家で休暇を過ごせるなんて。あるかどうかわからない王国時代の宝よりも、よっぽど現実的で素晴らしいことではないか。
「ジェイクト先生って、どんな方?」
村の中の道を並んで歩きながら、ミュシカは訊いた。村とはいっても、建物のある部分よりも森の面積が広いようなところで、森の中でハイキングでもしているような気分になる。
ミュシカの質問に、フィーニは何故かぷっと吹きだした。
「なにか可笑しい?」
「一言で言うとね、『先生』なんて呼ぶのはぜんっぜん似合わない奴」
そう、笑って応える。
「こんな田舎に隠ってわけわかんない絵を描いているくらいだからね。はっきり言って変人。歳の割には子供っぽいところもあるし。話しやすいからあたしは好きだけど、親戚の中じゃ浮いた存在だよね」
なんの遠慮もなしにずけずけと言う。ミュシカが知る限り、リースリングの一族は伝統的に葡萄農家、ワイン商人、それに軍人と警官が多い筈だ。その中で前衛芸術家などというのは、確かに変わった存在だろう。しかしフィーニの父親は警察署長などというお堅い職業だと聞いているから、彼女の性格は父親よりもむしろこの叔父寄りではないだろうか。
「ここに来るのは一年半ぶりかな。転入する直前、実家でちらっと顔会わせてるけど」
「ふぅん」
「アトリエとかもあって、独り暮らしなのに家は広いからね。なんにも気兼ねしないで長居できるよ」
そんな話をしながら上り坂を歩いて、そろそろ脚が怠くなってきた頃ようやく目的地に着いた。
フィーニの言う通り、平屋だがかなり大きな家だった。ジェイクトさんは一人暮らしだというからなおさらのこと。
都会育ちのミュシカには、これだけの広さの平屋の家というのも違和感がある。この辺りのような田舎では、手間をかけて二階建て、三階建ての家を建てるよりも、その分広い土地を買って平屋建てにする方が安上がりなのだそうだ。地価の高い都会では考えられない贅沢な話だった。
ここはもう村はずれということで、隣家との距離はずいぶんある。森の中にぽっかりと空いた小さな草原に建てられたログハウス、といった印象を受ける建物だった。
母屋と、渡り廊下でつながったアトリエが、上から見れば大きなコの字を描いている。その中庭は美しい芝生になっていて、樹の地肌そのままのテーブルと椅子が置かれていた。
二人は玄関の前に立って、呼び鈴の紐を引いた。母家の中でベルの音が響くのが微かに聞こえてくる。しかし、なんの応答もない。
フィーニは首を傾げた。
「今日の午後着くって、電報打っておいたんだけどな?」
「先生はアトリエにいらっしゃるのかもよ?」
ミュシカが言うと、フィーニは無言でこちらを見た。何か言いたげな様子だ。
「その、お嬢様みたいな言葉遣いやめてよ。聞く度に吹き出しそうになる」
「まあ、失礼ですこと」
ミュシカはわざとお淑やかに応える。
「私だって、伝統あるシーリア女学園に通う淑女ですもの。このような言葉遣いは当然のことですわ」
手の甲を口に当てて「ほほほ」と笑ってみせると、失礼なことにフィーニはお腹を抱えて爆笑しているではないか。
「ひー、し、死ぬぅ〜。ミュ、ミュシカ、あたしを笑い死にさせる気?」
「……それもいいかもね。本気であんたを殺したくなったら、試しに一時間くらい続けてみるわ」
地の言葉遣いに戻してミュシカは言った。
「まったく、レイアお姉様やアイリーお姉様じゃあるまいし。ミュシカじゃ全然似合ってないよ」
「あたしの言葉遣いが悪いのは、半分はあんたの責任じゃない。あんたが怒らせるようなことばかりするから」
とはいえシーリア女学園の生徒としては、ミュシカの言葉遣いはかなり悪い方であることは事実だ。以前はもっと丁寧だったし、先生と話す時などはもちろん気をつけていた。
もちろん今でも、シーリアに相応しいお淑やかな話し方もできる。しかしそうした言葉遣いで先生と話していた時、横にいたレイア様やアイリー、さらには当の先生までが笑いを堪えているのを見て、以来ミュシカの言葉はすっかり汚くなってしまった。今さらフィーニに責任を押し付けるのは八つ当たりというものだろう。
「そもそも、あんたにとっては仲のいい叔父さんでも、私はジェイクト先生とは初対面なんだから、シーリアの生徒として恥ずかしくない振る舞いをするのは当然でしょ」
「だから、そんな畏まるような奴じゃないって」
「目上の人を『奴』なんて呼ぶのおよしなさい」
フィーニがまた吹き出す。
「およしなさい、なんて。レイアお姉様の物真似みたい」
「あのねぇ!」
むっとして唇を尖らせるミュシカを置き去りにして、フィーニはアトリエの方へと歩き出した。母屋とは渡り廊下でつながった建物だが、外から直接入れる小さな玄関もあり、フィーニは声もかけずに勝手に扉を開けて入っていく。ミュシカは小声で「お邪魔します」とつぶやいて後に続いた。
入ってすぐの部屋を覗き込む。人の姿はない。
そこはどうやら、絵を描くのに使っている部屋らしかった。窓の大きな明るく広い部屋の中央には、キャンバスを立て掛けたイーゼルが立っていて、その周囲にも描きかけなのか失敗作なのか、キャンバスやスケッチブックが乱雑に放り出してある。油と絵の具の匂いがつんと鼻についた。
絵は描きかけのものばかりではなく、きちんと完成しているらしいものもあった。何枚かは壁に飾ってあり、クリップで留めて棚に並べられているキャンバスも多数ある。
「……素敵」
憧れの画家の作品を前にして、ミュシカは思わず溜め息をついた。ほとんどが抽象画で何をモチーフにしたものなのかはさっぱりわからない。それでも、心にじーんと染み込んでくるものがある。
ジェイクト・フィル・ジーンディルといえば、極めて抽象的な前衛芸術家として知られている。しかしここには何枚か、山や湖などの風景画もあった。
「これ、すごく素敵」
一枚の絵を指差す。
この近くの風景だろうか、山に囲まれた夕暮れの湖の絵だ。沈みかけた夕陽を中心とする鮮やかな朱色と、暗くなりはじめた周囲の灰色の雲の対比が印象的で、水面に映って揺らめいている夕陽が感動的なまでに美しい。
「ジェイクト先生って、こんな絵も描かれるのね。一般に知られてるのは抽象画ばかりだけど、こうした風景画もすごく素敵」
「適当にわけわかんないもの描けば、バカな評論家連中が勝手に『これぞ芸術だ』とか言ってくれるからだって」
「え?」
突然にフィーニの台詞にミュシカは振り返る。一瞬、意味が分からなかった。
「叔父さんが、変な絵ばかり描く理由。笑いながら、自分でそう言ってたよ」
「あ……ああ、なるほど……」
「あたしはこっちの方が好きだけどね。ね、ここにある絵で、これが一番素敵だと思わない?」
フィーニは立てて棚に並べてある絵の一枚を取り出した。なんの迷いもなしに一枚だけ選んだところを見ると、ずらりと並んでいる絵をすべて把握しているのだろうか。
それもまた、珍しい作風だった。人物画だ。場所はここの中庭だろう。芝生の上の白い椅子に座った、十歳くらいの女の子が楽しそうに笑っている。
「なんたって、モデルがいいじゃない」
「え?」
そう言われてよくよく見れば、なんだか見覚えがあるように感じたモデルの女の子は、数年前のフィーニではないか。なにが「モデルがいい」だ。ずうずうしいにもほどがある。
「モデルはちょっといまいちだけど、先生の技術はそれを補って余りあるわね」
わざとそう答えてやった。フィーニは膨れて「モデルを選ぶ目も画家の技術のうち」とかなんとか、ぶつくさと言っている。
実際のところ、確かに素敵な絵だった。モデルの少女の、きらきらと輝くような笑顔の魅力を余すところなく描き出している。だからといって、フィーニの前でわざわざ口に出して褒めたりはしない。少し、嫉妬していたのかもしれない。こんなに素敵な絵を描いてもらえるなんて、と。
他の絵も全部見てみたかったが、まずはジェイクト先生に挨拶するのが先だ。二人は隣の部屋へ移動した。
そこはさらに広い部屋だった。学校の教室ほどの広さがある。その広い部屋が、がらくたの山に埋まっていた。散らかり具合という点では、セルタさんのお店の倉庫にも負けていない。
大小様々な石膏の塊。
まだ粉のままの石膏の袋。
様々な形状の木材。
掘り出したままの大きな切り株。
鉄筋や針金、大理石、その他もろもろ。
そうした素材ばかりではなく、作りかけなのか失敗作なのか、奇妙な彫刻やオブジェが所狭しと並んでいて、その間に木工、鉄工それぞれの工具が雑多と散らばっている。
「うわぁ……これは、また、なんというか……」
本当に、足の踏み場にも困るほどだ。まるで自分が身長二十センチほどの人形になって、子供のがらくた箱にでも入り込んでしまったような心境だった。
「正直に言えば? 汚い部屋、って」
フィーニがからかうように言う。確かにその通りなのだが、しかし敬愛するジェイクト先生のことを悪く言いたくはない。
「げ、芸術家の心というのは常人には伺い知ることのできないカオスであり、だからこそ、その中から素晴らしい作品が生まれてくるのよ。このアトリエは、先生の精神世界の混沌を、三次元世界に投影した姿なんだわ」
舌を噛みそうになりながら芸術を語るミュシカを、フィーニは馬鹿にしたように笑っている。
確かにここは、不可解な空間だった。これに比べれば、たとえ抽象画であっても絵画の方がまだ理解できる。世に出ているジェイクト先生の彫刻は、もっとも「わかりやすい」作品なのだと今さらのように気がついた。
ここには、前の部屋のような写実的な作品はひとつもない。ミュシカの目には、鉄骨やら角材やら削った大理石やらを、でたらめにつなぎ合わせたようにしか見えなかった。
形状としてはわかりやすくても、その意図がまるで理解できない作品もある。例えば二人の目の前に、指くらいの太さの金属棒を組んで作った、釣り鐘型の大きな篭があった。ミュシカが背伸びしてもてっぺんにはまるで届かないくらいの高さがある。
「これは?」
「あ、それは駝鳥篭」
笑いを堪えているような表情でフィーニが応える。
「だちょうかご?」
「駝鳥を屋内で飼うための鳥篭」
「……」
思わず絶句してしまった。確かにそのくらいのサイズはあるし、形は鳥篭そのものだ。しかし、駝鳥を鳥篭で飼うなんて聞いたことがない。
「先生は、駝鳥を飼っていらっしゃるの?」
「まさか。これも芸術なんだってさ」
フィーニはいかにも馬鹿にしたような口調で「ゲージツ」と発音した。
「ほとんどペテン師だよね。さすがにこれを芸術として買うバカはいなかったみたいだけど」
「でも、売約済みの札が……」
駝鳥篭に貼られていた小さな紙を指差すと、フィーニはそれを裏返して見せる。
『マイカラス国立動物園付属 鳥類研究所』
そう書かれている。フィーニがけらけらと笑った。
「まあ、本来の用途に使われるんだから、その方がいいかもね」
「……し、真の芸術は、無数の挑戦と失敗の中から生まれるのよ」
ミュシカの言い訳もだんだん苦しくなってくる。話題を逸らそうと、駝鳥篭の隣に置かれている、負けず劣らず大きなオブジェに近付いた。
「こ、これは何?」
縦横三メートル弱、厚さ二十センチ以上のコンクリートの土台から、体育の鉄棒のように二本の金属パイプが垂直に生えている。その先にミュシカの太ももくらいの太さのスプリングとか、金属製のワイヤーなどがごちゃごちゃとついていた。単に金属部品を適当につなぎ合わせただけなのか、駝鳥篭のようになんらかの実用的な(?)意図があるのか、まるで見当もつかない。
強いて印象を言えば、
「これはあたしも初めて見る。なんてゆーか……二十倍スケールのネズミ獲り?」
というフィーニの感想の通りだろう。
その時。
「惜しいな」
突然、背後から声がした。二人が同時に振り返ると、部屋の入り口に三十歳少し前くらいの男性が立っている。
「それは、二十分の一スケールの『竜捕獲機』だよ」
青年は、悪戯っ子のような笑みを浮かべてそう言った。
「獲物が竜じゃあ、動物園も買ってくれないね」
フィーニはそう言って笑うと、お茶のカップに口をつけた。
「いやいや、そんなことはわからないさ」
ティーポットを手にした先刻の青年――言うまでもなくジェイクト先生本人――が真顔で応える。
ミュシカが想像していたよりも若い。まだ三十歳にはなっていないのだそうだ。笑った顔はもっと子供っぽい雰囲気になって、大学生くらいの印象を受ける。背があまり高くないことや髪と瞳が濃い茶であることなどは、姪のフィーニにも似ていた。あの不可思議な絵画や彫刻は、凝り固まっていない、子供っぽい柔らかな頭脳から生まれるのかもしれない。
今は三人で、中庭のテーブルで午後のお茶を楽しんでいる。憧れのジェイクト先生とひとつのテーブルでお茶。ミュシカは夢心地だった。
「で、あの竜捕獲機って何? 駝鳥篭シリーズの第二弾?」
フィーニが遠慮のない言葉を吐く。ジェイクト先生が苦笑する。
「手厳しいな。別にシリーズのつもりはないけれど。芸術とは本来、人の心を楽しませるもの。気取ってばかりいないで、遊び心が必要とは思わないか?」
台詞の後半は、ミュシカに向かって訊いてきた。
「え、そ、そうですよね! さすがジェイクト先生、芸術に対して深い考えをお持ちなんですね」
思わず居ずまいを正して応えると、何故か先生は小さく笑った。
「わ、私、何かおかしなこと言いましたでしょうか?」
「いや、いかにもシーリア女学園のお嬢様らしい話し方だなって。そんな学校にフィーニが通っているのかと思うとなんだか可笑しくてね。僕はいまだに信じられないよ。よくも三日で放校にならなかったものだ。おかげで賭けに負けてしまった」
「はぁ」
ミュシカは曖昧な返事を返した。いったい誰と賭けていたのだろう。それにしてもさすがに叔父さんだけあって、フィーニの本性はよくわかっているらしい。フィーニもここでは猫をかぶる素振りすら見せない。
「ああ、ところで」
ジェイクト先生はミュシカの方を見ると、人差し指を立てて言った。
「ここでは、『先生』はいらないよ。そんな呼び方をされると、なんだか背中がむずむずする」
「あ、……はい」
ジェイクト先生……いやジェイクトさんは、偉ぶったところがない、いい人だった。フィーニが「話しやすくて好き」と言っていたのもわかる気がする。
それにしても、ジェイクトさんがフィーニの本性を知っていてくれてよかった。ミュシカとしても、変に取り繕う必要がないから気が楽だ。もしも「学園でのフィーニはどんな様子?」なんて訊かれたりしたら、「シーリアの伝統に恥ずかしくない、立派な淑女として学園生活を送っています」なんて、吹き出さずに言えるわけがない。
「君……ミュシカは、フィーニと同室なんだって? 苦労してるだろう?」
「はい」
つい反射的に、本音で答えてしまった。一瞬、「あっ」と口を押さえて。
「……その、まあ……少しは」
しどろもどろにフォローしたけれど、どう考えても手遅れだ。フィーニが頬を膨らませているが、これはミュシカの発言に気を悪くしたためか、それとも口いっぱいにクッキーを頬張っているためかははっきりしない。
「まあ、ゆっくりしていくといいよ。森と湖しかない田舎だけどね」
「それで充分。今回は、山歩きを楽しむために来たんだもん、ねー?」
「あ、はい。そうなんです」
ミュシカに向かって念を押すようにフィーニが言うので、慌てて話を合わせた。
どうやら、宝探しのことはジェイクトさんには内緒らしい。セルタさんにも内緒で来たくらいだから当然か。
こういった冒険は、子供だけの方が楽しいのだ。
「部屋は、二階の奥の客間を好きに使っていいから。自分の家と思って気楽に過ごしなよ。まあ、こいつには言う必要ないけどね。少し遠慮しているくらいでちょうどいいんだが」
ジェイクトさんの視線は、テーブルの上と、そしてフィーニに向けられている。クッキーを盛ってあった筈のお皿がほとんど空になっていて、その中身はフィーニの胃に収まっていた。
「夜になると、やっぱり静かですね」
ミュシカはぽつりと言った。
夕食後、居間でくつろいでいるひととき。これがソーウシベツのような都会の街中であれば、夜でも市街鉄道や馬車の音が聞こえてくるし、そもそも寄宿舎は消灯時刻まで女の子たちの声で溢れている。
しかしここで聞こえてくるものといえば、梟かなにかの鳥の声と虫の鳴き声、そしてたまに獣の遠吠えくらいのものだ。一番賑やかなフィーニがお風呂に入っているので、なおのこと静かさを意識してしまう。
ジェイクトさんはソファに深く腰を下ろして、ブランデーのグラスを傾けている。ミュシカは甘口の白ワインを少しだけご馳走になった。さすがはワインで名を馳せたリースリングの一族、この家の地下にも素晴らしいワインやブランデーがずらりと並んでいた。
自分の手の中のグラスに目をやる。とろりとした金色の液体が揺れていた。三十年ものの貴腐ワイン、蜂蜜のように濃厚な芳香が漂ってくる。
普通に買えば、かなり高いものだろう。まさしく、液体の形をした黄金だった。
「君はずっと都会暮らしかい?」
「実家はソーウシベツの郊外なんです。家から通えないこともないけれど、ちょっと遠いので寄宿舎に」
「てことは、オルディカの本家?」
「ええ」
「じゃあ、フィーニとは遠い親戚みたいなものだ」
「まあ……そうですね」
嫌そうな表情が表に出ないように気をつけて返事をする。それは普段、できるだけ考えないようにしていることだった。実は、あのフィーニと血のつながりがあるなんて。
オルディカもリースリングも、ソーウシベツに本家のある古い家系で、昔はともに領主のマツミヤ家に仕えていた。両家と、そしてマツミヤ家の間には過去幾度も婚姻関係があったから、確かに遠い親戚には違いない。
「そのせいかな、フィーニはずいぶん君に懐いているようだね」
「そう……でしょうか?」
懐かれているというよりは、なめられているような気がする。それにフィーニは、レイア様にだってアイリーにだってよく懐いている。別にミュシカに対してだけが特別とは思わない。
「いや、本当に。思っていたよりもずっと元気そうだったんで安心した」
「え?」
意外な言葉に、思わず声を上げる。「思っていたより元気そう」だなんて。
フィーニは転入してきた時からずっとあの調子ではないか。元気をなくすことなんてあるのだろうか。
いや、そういえば。
ふと思い出した。ミュシカと同室になった最初の夜、フィーニがベッドの中で声を殺して泣いていたことを。ミュシカが添い寝してやるようになってからはなくなっていたけれど。
「引っ越し前はごたごたしていたからね。ずいぶん落ち込んでいたっけなぁ」
「え?」
落ち込んでいた? あのフィーニが?
どうしてだろう。憧れのシーリア女学園に通うことができるのだから、むしろ喜ぶべきことではないだろうか。
そういえば、以前にも疑問に感じたことがあった。どうして、年度途中のこんな半端な時期に転校してきたのだろう、と。
以前からシーリア女学園に憧れていたのなら、普通に入学試験を受けるだろう。フィーニは家柄や経済状態にはまったく問題はないし、外見からは想像もできなかったが、すごく頭がいいのだ。そもそも、転入試験は入試よりも難易度が高い。
だったら、何故、転入なのだろう。
やはりなにか、急に親元を離れなければならない事情があったのだろうか。転入前はそのために落ち込んでいたのだろうか。
ジェイクトさんの言葉は、その可能性を示唆していた。
「あの子はいい友達に恵まれたようだね。仲良くしてやってくれよ」
「は、はい。ええと、あの……」
詳しい事情を訊いてみたかった。どうしてフィーニがシーリア女学園に来ることになったのか。
だけど、なんとなく思いとどまった。
なんだか、訊いてはいけないことのような気がした。誰にだって、触れられたくないことの一つや二つはあるものではないか。ミュシカ自身がそうであるように。
だったら、あまり詮索しない方がよいのかもしれない。
ミュシカが口を開きかけたまま躊躇していると、背後からフィーニの声がした。
「叔父さーん、お風呂あいたよー」
振り返ると、お風呂上がりのフィーニがバスタオルを巻いただけの姿で立っている。いくら親戚とはいえ、年頃の娘が男性の前ではしたない。
「じゃあ、僕も風呂に入ってこよう」
ジェイクトさんがグラスを置いて立ち上がる。後にはフィーニとミュシカだけが残された。
フィーニは戸棚から自分のグラスを出してきて、ミュシカと同じワインを注ぐ。
「なんの話してたの?」
「え、えっと……」
ミュシカは口ごもった。本当のことは、言わない方がいいような気がする。
「わ、私みたいな優しくて美人の上級生と同室で、フィーニは幸せ者だって」
冗談めかしてそう言ったら、フィーニってば。
「ふっ」
失礼なことに、思いっきり鼻で笑ってくれた。
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