空は一応晴れているが、薄い、霧のような雲がかかっている。
ちらちらと舞う風花。
踏み固められた雪の上に、昨夜降った新雪がうっすらと積もっていた。
気温は低く、吐く息は白い。
チャリ…ン。
澄んだ金属音を立てて、銀色の硬貨が賽銭箱に落ちる。柏手を打って手を合わせ、心の中に願い事を思い浮かべる。
ただしその願いといえば、
(今年こそ! 奈子先輩と…あ〜んなことや、こ〜んなことを…ゴニョゴニョ……)
この作品がドリームネットやさくらインターネットのサーバに掲載されているから許されるが、ジオシティだったらたちまち削除されそうなものだった。
ここは、奈子や由維が住む奏珠別の街外れにある神社の境内。
そして今日は元旦。
平均的な日本人としてはごくごく当たり前の行動として、由維は振り袖で着飾って初詣に来ていた。
境内はそれほど混んではいない。この辺りの住人なら、地下鉄で北海道神宮まで足を伸ばす人も多いのだ。
「さて…」
かなり長い間、煩悩まみれの願いごとをつぶやいていた由維だったが、ようやく顔を上げて周囲を見回した。
「…奈子先輩、どこ行っちゃったのかなぁ?」
今日はもちろん一人ではなく、奈子と一緒に来ていた。しかし奈子の性格は花よりダンゴ、お詣りよりも屋台のタコ焼きである。境内に着くと同時に、並んでいる屋台の方へと駆けだしていってしまった。
「家に帰れば、私が作ったお節とお雑煮があるのに…」
ぶつぶつ言いながら、由維も軒を連ねる屋台の方へと歩き出す。
そのとき、背後で声がした。
「おい、そこのちっちゃいの!」
思わず振り返ってしまう自分が悲しい。しかし由維の身長と体重(そして胸囲)が、中学二年生の平均を大幅に下回るのは歴然たる事実だ。
「私…ですか?」
「そ、お前」
ナンパにしては、ずいぶんと乱暴な物言いだなと思う。
発育不全の由維だが、なぜか男子には人気があった。街で声をかけられることも多い。
前に一度、小学生にナンパされたことがあり、あとで話を聞いた奈子は、お腹を抱えて笑い死にしそうになっていた。まったく失礼な話だ。やきもちくらい妬いてくれればいいのに。
幸いなことに(?)、今回声をかけてきたのは小学生ではなかった。見た感じでは由維よりもずっと年上だ。高校生だろうか。
洗いざらしのジーンズに、黒い皮のジャンバーという服装。髪はほとんど黒に近い濃い茶色で短め。前髪だけを目にかかるくらいに伸ばしている。それでも、その鋭い目つきは隠しきれていなかった。
身長は、奈子よりも少し高い――ということは由維よりも二十センチ以上高いことになる。百六十センチ台の後半というところ。痩せて見えるが、軟弱な雰囲気はこれっぽちもない。精悍な顔つきで、なんとなく獲物を狙う肉食獣を思わせるような、危険な笑みを浮かべていた。由維を、値踏みするかのように睨めまわしている。
由維もその相手を観察して、間もなくひとつ違和感に気付いた。恐る恐る――もし違っていたら、殴られそうな気がしたのだ――確かめてみる。
「ひょっとしてあなた…、女の人ですか?」
一見、精悍な顔つきの美少年である。しかしなにかが違う。そしてなにより、どことなく奈子と似た雰囲気を持っている。
「ああ、そうだよ」
目の前の人物はあっさりとうなずいた。その声も女性にしてはハスキーだが、男性のものではない。由維は目を丸くした。
(奈子先輩以外にも、こんなカッコイイ人っているんだな〜)
思わず感心してしまう。
「で、あの…?」
「お前、地元の人間?」
「そうです…けど?」
「だったら、案内してくれないか? 道に迷っちゃってさ」
「旅行中ですか?」
それにしては軽装だが。
「まあ、そんなところ」
「えっと…まあ、いいです…けど…」
とりあえず奈子と合流した後なら。
「あなたのお名前は?」
「彩樹。静内彩樹」
「変わったお名前ですね〜。あ、私、由維っていいます」
「由維…ね。ありがと、由維」
礼を言うと同時に、彩樹と名乗ったその少女は、由維の肩を抱いた。もう一方の手を顎に当てて上を向かせ、唇を重ねる。
それは、流れるように自然な、まったくよどみのない動作だった。抵抗したり逃げたりする隙をまるで与えずに。
(え…?)
なにが起こったのか由維が理解したのは、しっかりと抱きしめられて、彩樹の舌が口の中に入ってきてからのことだった。
「ん…ぅ…」
手を振りほどこうとしても、女の子離れした力で押さえつけられて身動きがとれない。
彩樹の舌が、ゆっくりと由維の口中をくすぐっていた。
奈子の目の前で、信じられないことが起こっていた。
由維が、見知らぬ相手に無理やりキスされている。しかもそれは、どう見てもディープキスだ。
ほかほかと湯気を立てているタコ焼きのパックと甘酒の紙コップを手にしたまま、奈子は呆然と立ちつくしていた。それが幻覚でも人違いでもないと確認してから、慌てて口を開く。
「ちょ…、ちょっとあんた! なにやってんのっ!」
奈子が叫ぶのと同時に、相手は由維を放した。
「な、奈子先輩!」
解放された由維は、目に涙を浮かべて駆け寄ってくる。奈子のハーフコートをぎゅっと握りしめ、背中に隠れるようにピッタリとくっつく。
それを確認してから、奈子はもう一度相手を見た。
小さく、驚きの声を上げる。
その不届き者は、なんと女ではないか。遠目には、高校生くらいの男子にしか見えなかったが。
「…どういうつもり」
大きく息を吸い込んで、ゆっくりと言った。低い声――爆発しそうな怒りを抑えた低い声で。
「別に。可愛い子を見つけたからナンパしてただけさ。そう言うお前こそ、なんなんだ?」
向こうはこちらを見下したような態度で、口元に笑みを浮かべたまま応えた。
そうして、奈子と由維を交互に見る。わずかに目を見開いた。
「そのチビ、お前の彼女か?」
さも可笑しそうに聞いてくる。
「……」
奈子は少し躊躇したが、やがて小さくうなずいた。
「…そうだよ。なにか文句ある?」
開き直り、といってもいい。
「…由維をナンパしたって事は、あんたも同類じゃん」
「そう。だから、オレに一晩貸せよ」
その台詞を、奈子は最後まで言わせなかった。いきなり、持っていたタコ焼きと紙コップを投げつける。
驚いたことに、相手は素速く上体を屈めてそれをかわした。滑るような足捌きで数メートルの距離を一瞬で詰めると、低い姿勢から脚を狙ったローキックを放ってくる。
奈子は脚を軽く上げて、脛でその蹴りをガードした。同時に、正拳で顔面を狙う。
バチィッ!
大きな音が響く。
神速を誇る奈子の突きが、掌で受け止められていた。そのまま手首をつかまれ、関節を極められそうになる。
一瞬も迷わず、奈子は空いている方の掌底で顎を狙った。しかし向こうはぎりぎりでかわして後ろに飛び退く。
奈子は自分から前に出て、下がる相手との距離を詰めた。右脚を大きく前に踏み出すと、至近距離から極闘流最強の突き『衝』で腹を狙う。しかしそれは当たらない。
相手は掌で奈子の拳を逸らすと、肩から体当たりしてくる。
バランスを崩した奈子が二、三歩下がる。そこを狙って、こめかみを狙った上段の回し蹴りが飛んでくる。
奈子は腕を上げて蹴りをガードする。同時に、相手の軸足が跳ね上がった。
回し蹴りを囮にして、真下の死角から顎を狙ってくる蹴り。
大きくのけぞって、蹴りを数ミリのところでかわした奈子は、そのままバク転で距離を開けた。
「奈子先輩…」
後ろで、由維が不安そうな声を出す。
奈子は着ていたハーフコートのボタンをひとつずつ外した。
相手も革ジャンを脱ぐと、傍らにあった樹の枝――おみくじがたくさん結んである――に引っかける。
「奈子先輩…今の…」
「ああ…」
小さくうなずきながら、脱いだコートを由維に渡す。
「…間違いない、昇竜脚だ」
その声には、驚きの響きがあった。
「こいつ…」
きつい目で、相手を睨め付ける。向こうは相変わらず、挑発的な笑いを浮かべている。
「あんた、いったい何者?」
「自分が先に名乗るのが礼儀だろうが」
警戒した様子で訊いた奈子は、そう言い返されて顔をしかめる。
いきなり女の子の唇を奪うような奴に礼儀云々を言われるのは癪だったが、確かにその通りだ。
「…北原極闘流…二段、松宮奈子」
奈子はしぶしぶ名乗った。
「極闘流…なるほどね」
小さくうなずいて、なにやら意味ありげに笑う。
「オレは、静内彩樹」
「静内…?」
奈子は首を傾げた。
聞いたことのない名前だ。
しかし――
今の奈子と互角、あるいはそれ以上の闘いができる女子など、国内では数えるほどしかいない。
同じ北原極闘流の先輩である、北原美樹と安藤美夢。
聖覇流空手の綿部香織。
古流柔術・黒川道場の黒崎麗美。
北原美樹と死闘を繰り広げたこともある女子プロレス界の女帝、立花静香。
打撃と関節技の両方が使える者に限定すれば、せいぜいこのくらいだろうか。
静内彩樹などという人物は聞いたこともない。
しかもその技は紛れもなく――北原極闘流だった。
似た技を使う格闘技が他にないわけではない。
北原極闘流は、聖覇流空手と古流武術の極闘流、そして八極拳などを土台にして、美樹の祖父である北原道元が生み出した流派だ。必然的に、それらとの共通点は多い。
しかし、見る者が見ればその違いは歴然としている。この、静内彩樹と名乗る少女の技は、確かに北原極闘流だった。
極闘流の全国大会レベルの女子選手なら、ほとんど全員の顔と名前を記憶している。その中に、こんな人物はいない。
それでいて、その強さは北原美樹にも匹敵するのではないかと思われた。
(こいつは、いったい…?)
奈子の額に、冷や汗が浮かんだ。
いつの間にか、周囲が騒がしくなっていた。
見ると、大勢の観客が周りを囲んでいる。
その中には、由維の知っている顔もあった。
「由維、なにやってるの?」
大学生くらいと思われる長い黒髪の美人が、親しげに側に来る。
「姫お姉ちゃん…」
それは、由維の従姉の田沢愛姫だった。
愛姫は由維に向かって、チチチ…と人差し指を振る。
「姫姉さまって呼びなさいと言ったでしょう」
「それじゃナウシカだよぉ」
この従姉、確かに美人だし優しいが、ちょっと性格がヘンだ。だからこそ、由維とはけっこう気が合う。
「あれ、松宮ちゃんじゃん?」
愛姫の隣に立っていた、ややきつい目をした女性がつぶやいた。親友の真理恵だ。その後ろに恒崎真保や詩織晶、そして由維の姉の美咲といった、愛姫の高校時代の部活仲間――白岩学園の名物集団『料理研』の面々――がいて、対峙している二人を興味深げに見つめている。
「知ってるの?」
愛姫が真理恵の方を見る。
「極闘流の、去年の中学チャンプだよ」
「じゃあ、マリの後輩なんだ」
「向こうの方が強いけどね」
真理恵が苦笑する。
「で、なにやってんのよ、これ?」
美咲が由維の肩を小突いて訊く。
「それが…」
由維は、これまでのことを簡単に説明した。笑って聞いている愛姫や美咲と対称的に、真理恵は呆れ顔だ。
「…やれやれ、女の子を取り合ってケンカとはね…」
「私たちと同類ね」
愛姫が笑う。
彼女はかなりアブノーマルな恋愛観の持ち主だった。その性癖は由維や美咲にも少なからぬ影響を与えている。
同類扱いされた真理恵は、心底イヤそうな顔をした。
「私たちって…私を巻き込むな! 第一、私はこれでも人妻だぞ!」
真理恵は大学生だが、高校卒業と同時に元担任と結婚したのである。
「人妻! いい響きだよね〜。ねぇ由維、なんか興奮しない?」
「…って、中二の私に同意を求められても困るけど…」
「でも、これってマズいんじゃない? 止めなくていいの?」
この顔ぶれの中では珍しく、良識的な感性の持ち主である晶が言う。ただしその意見が聞き入れられることは滅多にない。
「美樹ちゃんがいれば、簡単に止めてくれるんだけどね〜」
緊張感のない口調で真保が言う。由維にとっては雲の上の人物である北原美樹も、真保や晶にとっては高校時代のクラスメイトだ。
「美樹の場合、自分が暴れたいだけでしょ。いなくて幸いよ」
晶はきっぱりと断定した。
なんだか周囲が騒がしくなっている。そのことには奈子も気付いていたが、とりあえず無視して目の前の敵にだけ集中していた。
「…ま、あんたの正体なんかどうでもいいや。由維にちょっかいを出した報いは受けてもらうよ」
腰を落として構えを取った。右足を前に出した半身の姿勢で、左手を顔の前に、右手をそれより前のやや低い位置に構える。
利き腕を前にして顔と左手、右手がほぼ一直線上に並ぶこの構えは、空手としては珍しいが、極闘流の女子には一般的なものだ。相手が一人の場合に、正面への攻撃力と防御力を最大にする姿勢だった。
彩樹は一見なんの構えも取っていないように見えるが、しかし付け入る隙はほとんど見当たらない。
にやにやと、いやらしい印象を受ける笑いを浮かべている。ひどく癇に障る表情…と思って気がついた。笑い方がどことなく、エイシスに似ているのだ。
どおりでむかつくはずだ。
「いいな、生意気な女は大好きだよ。オレが勝ったら、お前にも付き合ってもらおうかな。お前みたいなヤツを一晩中めちゃくちゃに弄ぶなんて、考えただけで興奮するぜ」
「そ〜ゆ〜妄想に浸るのは、病院のベッドの上にしな!」
奈子は、本気で怒っていた。
当然だ。目の前で由維の唇を奪った相手を、許せるはずがない。
(アタシの由維を、アタシの由維を…!)
手加減する気など毛頭ない。冗談ではなく病院送りにしてやるつもりだった。勢い余って万が一のことがあったとしても構わない、と。そこまで思いつめていた。
もしも今、レイナの剣が手元にあったなら、間違いなく彩樹を殺していただろう。幸か不幸か、今の奈子は素手だった。
低い姿勢から、膝を狙った蹴りを繰り出す。彩樹は跳んでかわすと同時に、奈子の顔面を蹴りつける。
身体を開いて蹴りを受け流した奈子は、彩樹の蹴り脚を抱え込んだ。そのまま地面に叩きつけて膝関節を極めようとする。
しかし、先にもう一方の脚が奈子の首にからみつき、彩樹に腕をつかまれる。
(飛びつき腕十字固め? こんな体勢から!)
奈子は脚を抱えていた手を放した。掴まれていた手首をひねって彩樹の手から逃れる。
そして、地面に落ちた彩樹の顔面を踏みつけようとした。彩樹はすかさず転がって距離を取る。
彩樹が立ち上がる隙を狙って、奈子は地面を蹴った。空中で一瞬丸めた身体を伸ばす背筋の力と、落下の勢いを加えて、真上から叩きつけるような後ろ蹴りを放つ。
飛鷹脚――極闘流でもっとも威力があるといわれる蹴りの変形だ。
ちょうど立ち上がろうとしていた彩樹には、かわす術はない。片膝を着いた姿勢で、高い位置で腕を交差させ、両腕と肩の三ヶ所で奈子の全体重が乗った蹴りを受け止める。
それでダメージがゼロになるということはないだろうが、力を三ヶ所に分散させることで致命傷を避けようというのだろう。まともに蹴りをくらうよりははるかにマシだ。
奈子や北原美樹の飛鷹脚を正面からブロックすれば、成人男子でも腕の骨が折れる。彩樹の受けは理想的な形だった。極闘流の技に精通している証だ。
奈子が飛鷹脚から着地する隙に、彩樹が背後に回りこむ。奈子は振り返りもせずに後ろへ肘打ちを放ったが、彩樹の掌に受け止められる。
すかさず、身体を反対側にひねって裏拳を繰り出す。
しかしそれより先に、彩樹の拳が背中の中心に触れた。それの意味するところを頭で理解するより先に、身体が反応していた。奈子は前へと跳ぶ。一瞬遅れて背中に衝撃を受けた。
地面で一回転して起きあがる。
衝、だった。中国拳法の発勁にも似た、極闘流の突きの奥義。
それも、試合では禁じられている脊椎への衝。まともに喰らえば後々まで身体に麻痺が残る。
「本気…か」
奈子は口の中でつぶやき、彩樹の顔を見る。向こうは顔色ひとつ変えていない。
ゆっくりと距離を詰めてくる。今度は奈子も構えをとらず、相手が間合いに入るのを待った。
二人の右手が、ほとんど同時に動いた。反射的にガードした左手に、鋭い痛みが走る。
お互いに、相手の親指がガードした掌の真ん中に突き刺さっていた。
二人とも同じ体勢だ。
同じ技を狙っていた。
鍛え抜いた親指で相手の喉を潰す、実戦専用の技。奈子は美樹から教わった。
一瞬、二人の動きが止まる。視線がぶつかり、ぱっと離れる。
二人の口元に、同じような笑みが浮かんでいた。
奈子は、全身に鳥肌が立つのを感じていた。
喉がカラカラだ。
一瞬でも気を抜けば、殺されるかもしれない闘い。
それをまさか、「こちら側」で体験することになろうとは。
なのに――
知らず知らずのうちに、口元が緩んでしまう。
心が躍る。
そう、奈子は悦んでいた。
この強敵を叩きのめしたいと、心底そう願っていた。
由維の唇の恨みではなくて。
こいつを叩きのめせば、どれほど気持ちがいいだろう、と。
彩樹も同じ思いでいることは、表情を見れば一目瞭然だった。
奈子は、小さく深呼吸をする。
彩樹が口を開いた。
「観客も盛り上がってるし、そろそろ決着をつけるか。あまり長引かせて、飽きられるのもなんだし」
いつの間にか、周囲の観客はさらに増えているようだった。どちらが勝つか、賭けの胴元をやっているのは真理恵らしい。
「そうだね。ウォーミングアップは終わり。こっからは本気だよ」
奈子も静かな声で応えた。
どちらもはったりだった。
ずっと、本気だった。
最初から、相手を殺しかねない全力の攻撃を続けていた。
「奈子先輩…」
由維は不安げにつぶやいた。
このままでは、どちらかが…あるいは双方が大怪我をしてしまう。
どちらかが完全に戦闘不能になるまで、この闘いは終わらないだろう。少なくとも奈子は動けるうちは闘い続けるだろうし、それはきっと彩樹も同じだ。
止めるべきなのかもしれない。
由維なら、止められるはずだった。
しかし、それをする気にはなれなかった。
由維は、ずっと以前から心に決めていたのだ。
決して、奈子の闘いを止めない――と。
奈子も、そして彩樹も、闘うことに至上の喜びを見出している。
困った性格だ、とも思う。
しかし由維が好きなのは、そういった性格の持ち主だった。
一度離れた奈子と彩樹が、また、じりじりと間合いを詰めていく。
お互いが攻撃圏内に入ろうとした、その瞬間。
一瞬、青白い閃光が走った。
見ていた者には、カメラのフラッシュのように思えただろう。
しかし、違う。
一瞬の光が消えたとき、彩樹の身体は後ろにあった樹の幹に叩きつけられていた。
奈子には見えていた。
青白い光線が、彩樹の身体を直撃したのだ。
それはまるで――
ファージの、魔法のような。
彩樹の身体が地面に崩れ落ちた。
「まったく、何をやっているのだ、サイキは?」
奈子と、倒れている彩樹の間に、そんな声が割り込んでくる。
不思議な人物だった。
日本人ではない。白人系だろうか。
腰まで届く長い金髪と、美しい紫の瞳の持ち主。布をたっぷりと使ってゆったりとしたデザインの、見慣れないドレスをまとっている。
思わず声を失うほどの美少女だ。
手に持った大きな剣が、その美しさとはひどくミスマッチだった。剣の柄には大きな宝石が填められ、その刃は淡く青白い燐光を放っている。
「こんなところで何をやっている。急がないと新年の宴に遅れると言っただろう」
その少女は、倒れている彩樹を見おろして、抑揚のない声で言った。
「てめえっ! オレを殺す気かっ?」
いきなり、彩樹が飛び起きる。
少女は表情を変えずに淡々と言った。
「…元気そうだな」
「死ぬかと思ったわ! 翠が花畑で手ぇ振ってたぞ!」
「それだけ動ければ問題ない。城に戻るぞ」
「ちょっと待て。こいつと決着をつけてからだ」
少女に背を向け、彩樹は奈子を見た。きょとんとしている奈子に向かって、再び構えをとろうとする。
「急ぐと言っただろう」
その言葉は、多分彩樹には聞こえていなかっただろう。
その少女は剣を大きく振りかぶった。そのまま、隙だらけの彩樹の後頭部を殴りつける――一応、峰打ちのようだったが。
今度こそ完全に気を失ったのだろうか。地面にのびた彩樹の身体は、ぴくりとも動かなかった。
「彩ちゃんてば、もう!」
また、新たな声が加わる。
今度は、見るからに日本の女子高生だ。茶色い髪に金色のメッシュ、そして厚底のブーツ。足の動きに合わせて、大きな胸が揺れている。
剣を持った少女と二人で、気を失っている彩樹の襟首をつかんで引きずって行こうとした。
そこへ、もうひとつの小柄な影が駆けてくる。
「彩樹さん、見つかりましたの?」
長い髪をポニーテールにした、小柄な少女だった。まだ中学生くらいだろう。
手には、先端に大きな宝石の付いた、奇妙な杖を持っていた。
「彩ちゃんは無事に回収したよ」
「無事に…ですの?」
意識のない彩樹を訝しげに見る。
「まあ、このくらいなら無事な部類だろう」
「目が覚めたら、きっとまた暴れますわ」
「なに、しばらく目は覚まさん」
「それはそれで問題があるのでは…」
「それより、早く引き上げようよ。なんだか注目されてるよ?」
それも当然だ。なにしろそこは、奈子と彩樹の対決を取り巻いていた観客の輪の中なのだから。
「そうだな、早い方がいい。イツキ」
「そう…ですわね」
小柄な少女が、手に持っていた杖を高く掲げた。
四人が、突然まばゆい光に包まれる。
光が消えたとき、その奇妙な四人の姿は消えていた。
「……」
「…………」
「え〜とぉ…」
奈子と由維は、呆然とした顔を見合わせた。
「…なんですか、今の?」
「さあ…」
決闘の相手が突然消えてしまった奈子は、拍子抜けした様子で応える。
「…とりあえず、タコ焼きを買い直そうか」
他に、言うべきことは思い浮かばなかった。
ずるずる…
ずるずる……
相変わらず気を失ったままの彩樹は、城の廊下を乱暴に引きずられていた。
「まったく、彩樹さんてば…」
あとに続く一姫が肩をすくめる。
「転移中にはぐれて、いったい何処を彷徨っているのかと心配しましたのに…」
「あんなところで女の子ナンパしたり、ケンカしたりしてるんだものね〜」
「まあ、サイキらしいと言えばらしいだろう。異次元で迷子になったからといって、取り乱すような性格ではあるまい。とりあえず、宴には間に合いそうだ」
アリアーナは剣を肩に担ぎ、早苗と並んで彩樹を引きずっている。その表情はなんだか楽しそうだった。
「それにしても、奈子先輩と互角に闘える女の人がいるなんて、世間は広いですね〜」
「…いや、あれはそういうレベルの問題じゃなかった気がするぞ」
神社から、奈子の家への帰り道。
二人は並んで歩いている。
奈子が、不機嫌そうに言った。
「大体、由維に隙があるのが悪いんだよ。あんな奴にキスなんかされて」
「あれはどう考えても不可抗力ですよ〜」
由維も唇を尖らせて言い返す。
「でも、けっこうカッコイイ人でしたよね。ちょっと奈子先輩に似てたし」
「どこがっ? あんな奴と一緒にすんなよ」
「それに、奈子先輩と同じくらいキス上手でしたよ」
その台詞で、奈子のこめかみに血管が浮いた。
「そんなわけあるか。由維にはアタシが一番に決まってる!」
「んふふ〜」
由維が意地の悪い笑みを浮かべた。
「なによ、なんか文句あるの? なんなら、ここでそれを証明して見せようか?」
奈子は由維の肩を乱暴に抱くと、顎に手を当てて上を向かせた。
しかし由維は、奈子の唇に人差し指を当ててそれを制する。
「ダメですよ、今は」
「いいじゃん、誰も見てないし。あんたもキス好きでしょ?」
「だって…」
由維が笑って言った。
「歯に、青のりが付いてますよ〜」
神社でタコ焼き二パックを平らげてきた奈子は、慌てて手で口を覆う。
「は、早く教えてよね。そ〜ゆ〜ことは!」
「家に帰って歯を磨いて。それから…ね?」
由維は、奈子の腕にぎゅっとしがみついた。
「今日はお正月だから、ちょっとだけサービスしちゃおっかな」
「さ、サービス?」
奈子の声が裏返る。
「サービスって…キスから先も、アリ?」
「なに喜んでるんですか? 奈子先輩のエッチ〜!」
「えっ? いや、その…」
「最後まで…はダメですよ。でも、ちょっとくらいなら…」
それから家に着くまで、奈子の歩く速度が妙に速くなったのは言うまでもない。振り袖の由維はそれに付いて来れないので、もちろん奈子が抱きかかえていた。
…と、奈子と由維が仲良くいちゃついている頃――
彩樹は相変わらず意識不明のまま、マウンマン城の廊下を乱暴に引きずられていたりする。
この扱いの差が、普段の行いに対する報いというものだろう。
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