午後六時三分前に札幌駅に着くと、桜子さんはもう改札の前で待っていた。新千歳空港までの三枚の乗車券まで持って、私が空港まで見送りに行くことも見越していたらしい。
 この頃には笙子もいくらか元気を取り戻していた。
「桜子さんは、何をしていたんですの?」
「せっかく札幌へ来たのですから、ススキノでジンギスカンとラムしゃぶとカニを食べて、ついでに小樽まで足を伸ばしてお寿司を食べてました」
「……今日の午後だけで、それを全部?」
「ええ」
 当たり前のようにうなずく桜子さんは、身長こそやや高めではあるが、コートの上からでもわかるくらい細身だ。この身体のいったい何処に、ジンギスカンとカニとラムしゃぶとお寿司が入っているのだろう。謎の多い人だ。一度詳しく訊いてみたい。
 しかしそんなことよりも、もっと重要な質問があった。空港内のレストランで夕食を食べた後、笙子がお手洗いに立ったときに、私は訊いてみた。
「……今日は、ありがとうございました。笙子と会わせてくれて。笙子の父親には、内緒なのでしょう?」
 彼女の肩書きは、笙子の家庭教師ということになっている。単に勉強を教えるだけではなく、笙子の生活すべてについての教育係、世話係であり、お目付役でもある。今日のことは明らかに、雇い主である笙子の父の意志に反した行動だろう。
「お礼なんか言われると、罪悪感を覚えますね」
 桜子さんは苦笑しながら応える。
「罪悪感?」
「元々、お嬢様とあなたを引き離したのは私ですから」
 そう白状した。半年前、家出して私の部屋に転がり込んでいた笙子を探し出し、連れ戻したのは彼女なのだそうだ。
「だったら、何故」
 今回は、私と笙子を会わせる手引きをしたのだろう。
 その質問に、桜子さんは微笑んで答えた。
「私は、人形のお世話をしているわけではありませんから。あなたと出会って以来、お嬢様は変わりました。たぶん、いい方向に。それに、お嬢様があなたのことをどれほど強く想っているのか、傍にいれば一目瞭然ですからね。私だって女です。好きな人に会いたいという気持ちはよくわかります」
「……あの、あなたは、その……私と笙子の、その、関係をご存じ……なんですよね?」
「もちろん」
「……いいんですか?」
 自分の教え子が、同性愛に走るのを見過ごしても。
「異性と付き合うよりは、安全だと思いますけどね」
 って笑って言うけど、そういう問題ではあるまい。
「同性か異性かという以前に、十代の頃の恋愛の経験は、貴重なものだと思います。遊びならともかく、あなたも真剣なようですし、今のところ強く反対する理由はありません。とはいえ……」
 桜子さんはそこで、これまで見せなかった子供っぽい笑みを浮かべた。
「お嬢様はまだ中学生ですし、もう少し節度を持った付き合いをしていただけるといいのですが」
「…………」
 私は、何も言えなかった。ただ真っ赤になって俯いた。私たちが愛し合っていることだけではなく、肉体関係があることまで見抜かれていたなんて。
 でも、桜子さんの言う通りなのだ。たまにキスしたり、抱擁したりするくらいならまだいいだろうけれど、今の私たちは確かにちょっとはめを外している。もう少し、笙子の年齢相応の健全な付き合い方も考えるべきかもしれない。
「……善処します」
 私はなんとか、それだけを答えた。
「ですから、その……。これからも時々、笙子と会う機会を作っていただけますか?」
 笙子との付き合いを続けるには、彼女の協力が不可欠だった。そうでなければ、会うこともままならない。
 嬉しいことに、桜子さんはうなずいてくれた。
「いろいろと、考えていることはありますよ。そのうちにまた、あなたにもご連絡いたします」
 この時ちょうど笙子が戻ってきたので、話はそこで打ち切った。いずれまた、そう遠くない未来に笙子と会える、それだけで私には十分で、あまり深くは考えなかった。
 しかし、もう少し気を付けているべきだったかもしれない。桜子さんがこのとき見せた、悪戯な笑みの持つ意味を。



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