26


「ハト、身体の具合はいいの?」
 翌日、真澄や聖さんと街へ出かけた時、真澄が心配そうに訊いてきた。
「ん、もう平気。ごめんね、先に帰っちゃって」
「近藤くんも心配してたよー。ね、今度はいつ会う?」
「ん……ごめん。もう、会わないや」
「えー、どうして? 近藤くん、ハトのことすごく気に入ってたのに」
 信じられない、って口調で真澄は言った。
 どうしてって訊かれてもちょっと困る。近藤くんのこと、どこが嫌いってわけじゃない。ただ、もう一度会いたいって気持ちにならないだけなのだ。
「もぉ! ハトっていつもこうなんだから」
「……ごめん」
「え、なになに? 何の話?」
 いきなり、聖さんが話に割り込んでくる。例によって背後から、あたしの胸を揉みながら。
 真澄が、一昨日のことを簡単に話した。聖さんは何故か、面白くなさそうな顔になる。
「ちょっと真澄、私を差し置いてハトを男とデートさせるなんてひどいんじゃない? 可哀想にねー、ハトちゃん」
 背後から、あたしの肩の上に頭を乗せて頬ずりしてくる。
「よし、じゃあ今度、口直しに私とデートしよう。ね?」
 勝手に話を進める聖さんを、真澄は呆れ顔で見ていた。
 だけどもちろん、あたしはOKした。見知らぬ男の子よりは、聖さんと遊んでいる方がずっと気が楽だった。



 そして。
 聖さんとのデートは、やっぱり楽しかった。
 映画と、ゲームセンターと、ウィンドウショッピング。
 夕食はいつものような割勘のファーストフードではなく、小洒落たイタリアレストランでご馳走してもらって、なんだか本当にデートみたいな気分。
 楽しい、本当に楽しい一日だった。
 夜の街を、二人手をつないで歩いて帰った。今夜は聖さんもあたしの家に泊まることになっていた。
 お風呂に入って、夜中過ぎまでビデオを観ながら他愛もない話をして。
 そろそろ眠くなってきたかな、という頃。
 不意に、聖さんが言った。
「ハト……」
「ん?」
「キス、してもいい?」
「え?」
 突然のことにびっくりした。言ったのが公美さんなら「またいつものこと」で済む話だけど、まさか聖さんがそんなことを言うなんて。
 また、冗談かと思った。だけどあたしを見ている聖さんの表情は、そうは言っていなかった。
 いつものふざけた笑顔を作るのに失敗して、真剣な、そしてどこか思いつめたような表情をしていた。
 いったい、どういうつもりなのだろう。まるでわからない。
 あたしが戸惑っていると、急に聖さんの口調が変わる。
「ああ、ごめん。冗談だから、忘れて」
 だけど、それは嘘だった。冗談なんかじゃない――理由はわからないけれど、本能的にそう思った。
 そして、考える。
 聖さんとキスするのって、どうなんだろう。
 いや?
 ううん、いやじゃない。
 だから。
「嘘つき」
 あたしは小さな声で言った。聖さんの表情が強張る。
「……冗談なんかじゃ、ないんでしょ? どうして誤魔化そうとするの?」
「どうして、って……。だって私、女の子が好きなんだもん。普通は、そんなの変だと思うでしょ?」
 聖さんってば、なんだか泣きそうな表情をしている。
「私は昔からこうだからね、いまさら後ろめたい気持ちなんかない。わかってくれない人に何を言われたって平気。それでも……それでも、ハトに「気持ち悪い」なんて思われるのだけは耐えられない」
「聖さん……」
「ハトと初めて同じクラスになった時……一目惚れ、だった。なんて可愛い女の子なんだろう、って。顔も、仕草も、すごく可愛くて、抱きしめたら柔らかくて気持ちよさそうで。……キスとか、もっと……エッチなこととか、したいって思った」
 聖さんの告白を聞いているうちに、心臓の鼓動が速くなってきた。顔が、熱く火照ってくる。
 これって正真正銘、愛の告白ではないだろうか。
「だから、冗談めかしてハトに抱きついたり触ったり……バカみたいでしょ? こんなの……だけどさ……」
「……いいよ」
 あたしは、聖さんの台詞を途中で遮った。そうしないと、聖さんが泣き出すんじゃないかと思ったから。
「別に、同性愛が気持ち悪いなんて思わない。あたし、キャラ文庫もルビー文庫も読んでるし、あ、あたしの知り合いにも、何人かそーゆー人がいるし」
 公美さんとか、笙子とか、宮本さんとか松宮先輩とか。
 同性が好きなこと以外は、みんな普通のいい人たちだ。気持ち悪いなんて思わない。まあ、公美さんは「いい人」じゃないかもしれないけれど。ううん、痴漢で変態じゃなければ、公美さんだってきっといい人だ。
「だから……いいよ。キス、してもいい……しよう?」
 あたしは自分から、聖さんの隣へ移動した。ぴったりと身体をくっつけて寄り添う。聖さんは、ぎこちなくあたしの肩に腕を回してきた。
「……本当に、いいの?」
 喜びを押し隠しているような口調で訊いてくる。聖さんの手が頬に触れる。
「……ん」
 あたしは目を閉じて上を向いた。
 痴漢の変態さんとだって何度もキスをしているのだ。聖さんとのキスを拒む理由はない。
 聖さんはあたしのことが好きで、あたしだって聖さんのことは、恋愛感情とは別物かもしれないけれど、大好きなのだ。
 聖さんの体温が近付いてくる。
 唇が触れた。柔らかな感触。
 あたしのファーストキスは公美さんで、そして二人目のキスの相手もやっぱり同性。
 だけどあたしは、そのことを少しも嫌だとは思っていなかった。
 ためらいがちに、舌が挿し入れられる。あたしの反応の伺うように。
 あたしも少しだけ口を開いて、舌を伸ばしてそれに応えた。
 口の中で密着する二人の舌。温かくて、柔らかくて、とても気持ちがいい。
 肩に置かれた聖さんの腕に力が込められて、あたしを抱き寄せる。あたしも聖さんの身体にそっと腕を回した。
 Tシャツとパジャマという薄い生地を通して感じる相手の温もり。これは初めての経験だった。公美さんと抱き合った時、向こうはちゃんと服を着ていたから。
 長い、長いキスだった。頭がぼぅとしてくる。
 息が苦しくなって意識が朦朧としてきた頃、ようやく二人の唇は離れた。
 あたしは聖さんの顔を見るのが恥ずかしくてうつむいた。それでも、腕は聖さんの背中に回したままだ。
「聖さん……」
「ん?」
「聖さんは、あたしのことが……その、好き……なんだよね?」
「……うん、大好き」
「じゃあさ、あたしを恋人にしたいとか……そういうこと、思うわけ?」
 もしもここで聖さんが「うん」と答えたら、あたしもOKしてしまうかもしれない。この場には、そんな雰囲気が漂っていた。
 少なくとも今は、あたしも、それでもいいと思っていた。頭の片隅に「変態の公美さんなんかより、聖さんの方がずっといい」なんて考えがちらりと浮かんだ。
「ハトの恋人、か……そうだね、なりたかったね」
 あたしは「おや」と思った。聖さんは何故か、過去形で答えた。あたしのことが好きなのは、現在進行形だと思ったのに。だから、キスしたいなんて言い出したのだろうに。
「……でもさ、なれないんだ。私、二学期から転校するの」
「…………え?」
 突然のことに、一瞬、言っていることの意味が理解できなかった。何秒かたって、ようやく言葉が頭の中に染み込んでくる。
「えぇぇぇっ! て、転校っ?」
 あたしはびっくりして叫んだ。初耳だった。寝耳に水、とはまさにこのことだ。
「て、転校って、引っ越し?」
「そう。親父の仕事の関係でね」
 聖さんは寂しげな雰囲気を漂わせて苦笑する。
「そんな……引っ越しって、どこに?」
「ロサンゼルス」
「……は?」
 ろさんぜるす……?
 それもまた唐突であまりにも予想外の単語で、意味を理解するのに時間がかかった。
「ろ、ロサンゼルスって! あのっ、アメリカの?」
「うん」
「そんなっ! それじゃあ、週末に会いに行くこともできないじゃない!」
「……だから、ハトと恋人同士にはなれないって。何年かは戻れないらしいからね。向こうで大学に行くつもり」
「そんな……」
 あたしは、少なからぬショックを受けていた。いや、聖さんと恋人になれなかったことがショックだったのではなくて、聖さんがいなくなってしまう、ということに。
 一番仲がよくて、頼りになる友達だったのに。
 こんなに突然に、いなくなってしまうなんて。
 信じられない。
 二学期から……って。
 夏休みはもう何日も残っていないのに、あまりにも突然すぎる。
「どうして? どうして、今まで黙ってたの?」
「……なんか、言えなかった。これでお別れだって、変にしんみりするのも私らしくないし。ホントは、何も言わずに転校しようかと思ってたんだ。けど、やっぱり、最後にちゃんと、ハトとの想い出を作りたかった。だから……今日は楽しかったし、すごく、嬉しかったよ。ありがとう、ハト」
 聖さんの言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。
 信じられない。信じられない。
 聖さんと、もう会えないだなんて。
 一緒にいるとこんなに楽しいのに。
 こんなに好きなのに。
 大切な、大切な友達なのに。
 だから……。
「想い出って……。キス、だけで……いいの?」
 気がつくと、そんなことを口走っていた。



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