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 お気に入りの作家、美作百合子先生のサイン会。
 あたしは笙子と待ち合わせて、二人でお金を出しあって花束を買ってから、会場の本屋へ向かった。
 サイン会目当てのお客さんは、ゆうに百人はいただろうか。ほとんどが中学生から二十代半ばくらいの女性。その中に何故か、どう見ても大学生〜社会人くらいの男性のグループがいて、あたしと笙子は首を傾げた。こんな人たちが、「女の子同士のほのかな恋愛感情」を描いた美作百合子先生の小説を読むのだろうか。
 しかしまあ、ボーイズラブ小説の読者の大半は女の子なのだから、逆に男が百合小説を読むのもありなのなのかもしれない。どうやら、まだまだ奥の深い世界のようだ。
「でも、美作先生ってどんな人なんだろうね」
 作風が特殊なためだろうか、あまり詳しいプロフィールを公開していない。あたしが知っているのは、まだ二十代の女性ということだけだった。
「きっと、素敵な方に違いないですわ。あんなに素敵な物語を書かれるんですもの」
 笙子がうっとりとした表情で言う。
「どんなに素敵な人でも、浮気しないようにね」
「な、なにを言うんです。そんなことあるわけないじゃないですか!」
 本気で反論する笙子に、思わず苦笑した。なにしろ彼女は正真正銘の同性愛者で、自分が通う女子校の体育教師とお付き合いしているのだ。
「れ、恋愛感情とはまた別の、純粋な憧れなんです!」
「はいはい」
 しかし笙子は恋人の進藤先生のことを語る時も、同じような熱っぽい瞳をしている。あたしには、その二つの感情の違いがよくわからない。
 やがてサイン会が始まって、人の列がゆっくりと進んでいく。
 もうじき、あたしたちの番。
 慣れた手つきでサインをしていた美作先生が、顔を上げてサイン本を前の人に差し出す。
 その顔を見て――
 あたしは思わず、大声で叫びそうになった。
 だって、だって。
 それは、ものすごくよく知っている顔だったから。
 引きつった表情で固まっているあたしの腕を、誰かが軽く引っ張った。横を向くと、笙子が何か言いたげな表情で、あたしと美作先生を交互に見ている。
 そうこうしているうちに、あたしたちの番になった。
 美作先生が顔を上げてあたしたちを見て。
 一瞬、目を丸く見開いた。
「どういう、ことですの?」
 笙子が耳元でささやく。
「……し、知らない。あたし、ホントになにも知らない」
 ぶんぶんと首を振る。
 そう。あたしは本当になにも知らなかった。
 例えば、公美さんの職業が何か、なんてことも。
 目の前で、花束や差し入れのお菓子に囲まれて座っているのは、人気作家の美作百合子先生なんかじゃない。
 あたしが知っているその人の名は、里原公美というのだ。
 公美さんは悪戯な笑みを浮かべて、ぺろっと小さく舌を出した。



「どういうことよ? あたしのこと、騙してたわけ?」
 翌日。
 約束通り、ドライブに行こうと迎えに来た公美さんに、あたしは詰め寄った。
 公美さんは軽く苦笑している。
「騙すなんて人聞きの悪い。職業は何かなんて訊かれたことはないし、君が私の本を読んでることも知らなかったんだから」
「……」
 確かに、言われてみればそうだ。
 何度か疑問に思ったことはあるけれど、公美さん本人に職業を尋ねた記憶はなかった。あたしが公美さんについて知っているのは、携帯の番号とメールアドレス、そして学園祭の招待状を送るために訊いた住所だけだ。
 しかし、これで様々な疑問は吹き飛んだ。
 どうして、普通のOLなら仕事をしているはずの時刻にあたしの前に出没できるのか。
 どうして、あんなにお金持ちなのか。
 美作百合子は、長者番付の作家部門に載るほどではないが、それでもかなりの人気作家だ。年収は数千万円にはなるらしい。
「あー、もう! せっかく素直に感動してたのに、イメージ崩れちゃった。笙子もショック受けてたよ」
「それは別に、私のせいじゃないでしょう?」
「あんたのせいだよ。美作百合子の正体が、変態痴漢レズ女だったなんて!」
「だからこそのあの作風、とは思わない?」
「そ、そりゃあ……」
 確かに、美作百合子の小説の多くは女の子の同性愛ものだ。それ故の固定ファンも多い。
「でも、だからって痴漢行為はないでしょ! あんたの小説、全部純愛ものじゃん」
「だけど、セックス描写はあるでしょ」
「そりゃあそうだけど……」
 確かに、手をつないだりキスだけにとどまらない作品も多い。そういえば、ある作品にはセーラー服のスカーフで両手首を縛って……というシーンもあって、そのエロティックさにドキドキした記憶もある。でも、それはすべて双方の合意の上の行為だった。公美さんがあたしにするような、強制猥褻とは違う。
「でも、人気作家・美作百合子がレズ痴漢の常習犯だなんて、知られたらまずいんじゃない?」
「ちょっとまずいわね」
 その割には落ち着いた口調で、あたしは少しむっとした。ここで、少しでも狼狽えてくれれば可愛げもあるというのに。
「このネタ、週刊誌にでも売っちゃおうかなぁ。スクープだよね。いくらくらいになるかなぁ?」
「売りたければ、売れば?」
 公美さんはあくまでも強気だった。
「君も一躍有名人ね。レズビアン作家・美作百合子につけ狙われた巨乳女子高生、って。写真週刊誌にカラーで載れるわよ」
「うぁ……」
 いかにもありそうな話だった。
 週刊誌がこの事件を面白おかしく記事にするとしたら、当然、その被害者にもスポットが当てられることになる。それが、あたしのような可愛い女子高生だったらなおさらだ。
 あまり変なことで有名になるのは困る。週刊誌を見た変なストーカーにつきまとわれることになるかもしれない。
 世の中、痴漢やレイプされても泣き寝入りする女性が多い理由がわかったような気がした。
 どうやら、公美さんを脅すのは諦めた方がよさそうだ。あたしは少し作戦を変えることにした。
「ま、まあ……、公美さん次第じゃ黙っていてもいいけどね」
 公美さんがふっと笑う。あたしの考えなんて見透かしたように。
「なにか、交換条件でも?」
「……ロマネ・コンティ、ご馳走して」
 とりあえず、最初に思い付いたことを口にした。相手は年収ン千万。数十万円のロマネ・コンティくらい、おねだりしても罰は当たるまい。
「じゃ、私からもひとつ条件」
「なに?」
「ロマコン付きの豪華な食事の後の、熱ーいキス」
「う……」
 一瞬、言葉に詰まった。しかし、以前の条件ではバージンと引き替えだったロマネ・コンティが、キスひとつで飲めるのなら……。
「き、キスだけ?」
「『熱ーいキス』だから、少しは触る」
「少しだけ?」
「少しだけ」
「し、縛ったり、お尻に指入れたり、変なおもちゃ使ったりしない?」
「絶対しない」
「……なら……いいよ」
 変な話だけれど、あたしは公美さんを信用していた。
 二人きりになったら、公美さんは「絶対に」触ったりキスしたりしてくる。あたしがどれほどイヤと言っても、それは間違いない。今だって、あたしを助手席に乗せて車を走らせながら、左手はあたしの太股を撫で回しているのだから。
 だけど、こうしたことを「絶対する」のと同じくらいの確率で、「絶対しない」と約束したことは守るはずだった。



 その夜。
 あたしは夢心地で家に着いた。
 最っ高のフルコースと、ロマネ・コンティ。
 普通に生きていたら、一生味わえないんじゃないかというくらいの素敵な経験だった。
 いつまでも余韻に浸っていて、ふと気付くと家のソファで公美さんに抱きしめられていた。あたしも、公美さんの身体に腕を回した。
 唇が重なる。
 柔らかな感触。
 久しぶりのキスは、学園祭以来だ。
 舌が入ってくる。あたしも舌を伸ばして応える。
 柔らかくぬめった粘膜が絡み合う。
「ん……ぅん……」
 口をぴったりと塞がれて、息ができないほどに濃厚なキスだった。
 密着した身体。冷房の効いた部屋では、その温もりが心地よい。
 酔いが回っているためだろうか。キスだけであたしの顔はかぁっと熱くなって、下半身がむずむずしてくる。口と……そして下半身の口から、熱い涎が滴っていた。
「ん、ふわぁ……」
 公美さんの唇が離れる。唾液の透明な糸が二人の唇をつないでいる。
 あたしは大きく息をついて、潤んだ瞳で公美さんを見上げる。優しい笑顔が目に映った。
「もっと、キスして欲しい?」
 こくん、とあたしはうなずいた。
 自分でもその気になっている時のキスは、柔らかくて、暖かくて、とても気持ちがいい。
 約束通りロマネ・コンティをご馳走してもらったんだから、キスくらいいくらでもさせてあげちゃう。
 ううん、違う。今は、あたしもキスしたい、キスして欲しいって思っている。
 だから何度も何度も唇を重ねて、公美さんの唇や舌の、柔らかくて滑らかな感触を楽しんだ。
 いつの間にか、公美さんは片手であたしを抱きながら、もう一方の手を胸の上に置いていた。
 ゆっくりと、優しく動く指。柔らかく形を変えるあたしの乳房。
 それでも、あたしは抗わなかった。目を閉じて、公美さんの愛撫に身を委ねていた。
 それが数分間続いた後、耳に熱い息が吹きかけられた。
「服……脱がしてもいい?」
 あたしは目を開いて公美さんを見た。
「……あたしの裸、見たいの?」
「見たいのも事実だけど、それよりも直に触りたいの。だめ?」
「……いいよ。今日だけは……ね」
「ありがと」
 今日買ってもらったばかりの、まるで良家のお嬢様みたいな雰囲気のワンピースが脱がされていく。ドライブの途中、昨日のサイン会の話になって、その時笙子が着ていた服が素敵だったという話をしたら公美さんが買ってくれたのだ。
 そういえば、「女性に服を贈るのは、それを脱がすため」なんて諺があったっけ。いや、これは諺じゃないか。中国の故事……でもなくて。まあ、別にどうでもいいことだけど。
 そんな関係ないことを考えているうちに、あたしは下着姿にされていた。まったく見事な早技という他はない。きっと、こういうことには慣れているのだろう。
 服を脱がし終わった公美さんは、あたしのお腹の上にキスをした。そのまま少しずつ上に昇ってきて、胸の谷間を通り抜け、鎖骨へと移動していく。
「や……ぁんっ!」
 唇が触れるか触れないかというその微妙な距離がくすぐったくて、あたしは身体を捩らせた。
 公美さんの手が、あたしの背後に回される。ブラのホックの部分に指をかけたところで動きを止め、真っ直ぐにあたしを見た。
 その視線が「ブラを外してもいいか?」と訊いているような気がして、あたしは小さくうなずいた。とたんに、締め付けがなくなって胸が楽になる。
 露わにされた乳房を、公美さんの手が包み込む。今度は両手で、両方の胸をいっぺんに。
 親指と人差し指で乳首を摘んで、残り三本の指で乳房を揉む。
 あたしの身体がびくっと震えた。そこは固くなって、自分でも意外なくらい敏感になっていた。
「……ん、ぁん」
 公美さんの顔が近付いてくる。胸の先端に唇が触れる。そのまま、乳首は口の中に含まれてしまった。
「は……ぁ、あ……」
 強く吸われる。先端に血液が集まって、そこはいっそう固く敏感になってしまう。
 舌先が触れる。最初はつつくように。それから、乳首を舌の上で転がすように。
 軽く、本当に軽く噛まれる。その微かな痛みを、あたしの神経は快感と受け止めていた。
「あっ……ぁん! ん……あぁん、ぁん!」
 優しい愛撫に応えて、切ない声が漏れる。
 普段の自分の声よりもオクターブの高い、鼻にかかった甘い声。
 乳首がスイッチになっているみたいに、そこに刺激が加えられるたびにあたしはエッチな声を上げた。
「ねえ、下も触っていい?」
「え……」
 躊躇したのは一瞬だけだった。次の瞬間には首を縦に振っていた。
 あたしの意識は、ただ快楽を得ることだけに向けられていた。
 まだパンツに隠されているあの部分が、熱く濡れているのがわかる。今そこを触れられたら、きっと気が遠くなるほど気持ちのいいことだろう。
 ずっと胸を弄んでいた手が、ゆっくりと下がっていく。胸からお腹へ、下腹へ、そしてパンツの上へ。
「はぁぁっ! あっ!」
 薄い生地の上から割れ目をそっとなぞられただけで、あたしは短い悲鳴を上げて身体を仰け反らせた。脊髄にビリッと電流が流れたように感じた。
 一瞬の衝撃の後で、身体の奥からまた熱いものが流れ出してくる。そこはもう本当に、お漏らししてしまったみたいに濡れている。
「下も脱がすよ?」
「……うン」
 あたしは素直にうなずいて、軽く腰を持ち上げた。湿った小さな布が、するりと脱がされる。
 これで本当に、全裸にされてしまった。身にまとっているものといえばソックスだけだ。
「……あ、待って」
 脚を開かせようとする公美さんの手に、あたしは初めて逆らった。
「こら。ここまで来て抵抗するな」
「だって……」
 それが嫌だったわけじゃない。ただ、
「あたし……すごい濡れちゃってるもん」
「それが見たいんじゃない。君が感じやすいのはわかってるんだから、今さら恥ずかしがらなくたって」
「そうじゃなくて……ソファ……汚しちゃう」
 決して、オーバーな話じゃない。
 あの、学校の屋上でした時。終わった後で、あたしが座っていたコンクリートの上に残った染みの大きさを見て、思いっきり赤面してしまった。
 同じことをソファの上でしたら、跡がお母さんに見つかってしまうかもしれない。簡単な染み抜きで落ちればいいけれど、ソファのクリーニングなんてこっそりとできることではない。
 あれだけ感じていた状況下で、こんな冷静な判断ができた自分がちょっと可笑しかった。
「そっか……跡が残るのはまずいか」
 公美さんも愛撫の手を止めて考える。
「でもさぁ。マジな話、こんな中途半端で終わりたくないんだけど。君だって、もっと気持ちよくなりたいでしょ?」
「うん……まあね」
 あたしだって、いよいよこれからが一番いいところで終わって欲しくはない。どうせここまでしてしまったんだから、ちゃんと最後までいかせて欲しい。
「うんと、気持ちよくしてくれるんだよね?」
「もちろん。私の指と舌がどれほど気持ちのいいものか、君もよく知ってるでしょ」
 公美さんは、お下品にも中指を立ててみせる。あたしは小さな笑い声を立てた。
「だったら、さ……」
 まだ、ちょっとだけ躊躇していた。
 これ、言ってもいいものだろうか。
 取り返しのつかないことをしているような気がするが、何を今さらという気もする。
 だけど。
「……ベッド、行こ?」
 やっぱり、言ってしまった。
 ベッドの上で、裸で公美さんと抱き合ったりしたら、本当に最後の最後までされてしまうような気もする。だけど今のあたしは、どこか「それでもいいや」って気持ちになってしまっていた。
 ベッドという単語に、公美さんも笑みを浮かべた。あたしの背中と太股の下に腕を入れる。
「抱いていってあげる。掴まってて」
「……ん」
 公美さんの首に腕を回すと、あたしはそのまま抱き上げられた。いわゆる「お姫様だっこ」の形で、自分の部屋まで運ばれていく。
 ベッドの上にそっと横たえられると、また、胸がドキドキしてきた。公美さんを家に上げるのは三度目だけど、自分の部屋でエッチなことをしたことはない。少なくとも、あたしの意識がある時には。
 しばらく、横になったあたしを品定めでもするかのように見下ろしていた公美さんが、ベッドに上がってくる。一度隣に添い寝してから、あたしの身体に覆い被さってきた。
 唇にキス。続いて首筋に、鎖骨に、胸に、お腹に。
 徐々に下に下がっていく。行き着く先は一つしかない。
「ひゃっ……ぁんっ!」
 唇よりも先に、指がそこに触れた。熱を帯びてトロトロにとろけている、あたしのエッチな部分に。
 割れ目を開いて、指の腹で擦って、クリトリスを指先でつついて、軽くつまんで。
 そうした動きの一つ一つに反応して、あたしの身体がベッドの上で弾む。
「気持ちいいでしょ?」
「うン……うん!」
「もっと?」
「もっとぉ……ふ、あぁん! あ――っ!」
 指が、入ってきた。
 一センチ入って、五ミリ戻って。それを繰り返しながら少しずつ奥に進んでくる。
「ふぅ……あっ、あっ……ぁんっ! あぁっ……あぁん」
 指の動きに合わせて、あたしのあそこも窄まったり弛んだり。柔らかくほぐれた粘膜が、公美さんの指に絡みつく。
「すごぉい、こんなに熱くなって、どんどん溢れ出してきてる。指一本なのに、こんなに締め付けちゃって」
「やぁ……言わないでぇ……あ、ん! ぁんっ」
 たった一本の指とはいえ、あたしにとっては充分すぎる大きさだ。自分の胎内にある異物の存在が、はっきりと感じられる。
「や、あ……動かさないでぇ……」
 一番奥まで辿り着いたところで、公美さんは小刻みに指を前後させはじめた。微かな痛みと、その何十倍もの快感があたしを襲う。
 ぐちゅ、くちゅ、ぴちゃ、ぺちゃ。
 湿った音に、長靴で泥濘の中を歩いた子供の頃の記憶が甦る。指の動きは小さなものの筈なのに、あたしの身体はそれくらいに大きな音を立てていた。
「ふぁ……あっ、んぁ……あんっ、んん……あぁっ、あんっ! あんっ! あんっ!」
 指の動きだけで、あたしは間もなく達してしまいそうだった。なのに、公美さんの顔がその湿った部分に近付いていく。
 小さな茂みを越えて、そして――
「やぁぁっ! あぁぁんっ、あぁぁ――っ!」
 舌が触れた。
 先刻、乳首に対してそうしていたように、あたしのクリトリスを口に含んで舌で執拗に責めたてる。
 指は、深々と挿入されたまま。
「だめっ、だめぇっ! あっ……やっ……あんっ、あぁんっ! しんじゃう……おかしくなっちゃう……っ!」
 身体の内側と外側から、同時に加えられる快楽。
 複数の箇所への同時の愛撫って、得られる快感の量は足し算じゃなくて掛け算なんだ……って、朦朧とした意識の中で思った。
 気が狂いそうなほどの愛撫から、無意識に逃れようとするあたしの身体を、公美さんの手がしっかりと掴まえる。もう一方の手と口は、あたしを狂わせるために動き続けている。
「だっ……あぁぁんっ! だ……めぇっ! あぁ――っ!」
「ん……ん……」
 最後の一瞬、舌がさらに強く押し付けられて。
 指が、ぐいっとねじ込まれて。
「あぁぁんっ! あぁぁんっ! あぁぁぁっ! あぁぁ――――っ!」
 絶叫して肺の中が空っぽになる寸前、あたしの意識はぱんっと弾けて飛び散った。



 どのくらいの時間、朦朧としていたのだろう。
 はっきりとものを考えられるくらいに復活した時には、汗が冷たくなっていて、あたしは公美さんの腕の中で寝ていた。
 にこにこと微笑んであたしの顔を覗き込んでいる公美さんと目が合う。なんだか恥ずかしくなって、ぷいっと顔を逸らした。
「どう、気持ちよかったでしょ? これまでで一番、感じさせてあげられたと思うんだけど」
 耳元でささやかれると、背筋がぞくぞくする。
「…………うン」
 あたしは渋々うなずいた。認めたくなくたって、思いっきり感じてしまったことは隠しようがない。ベッドカバーはお尻の周りがまだ湿っていて、はっきりと跡が残っている。
「しばらく会えなくて寂しかった分、堪能してくれた?」
「うん…………って、なに言ってんのよ!」
 あたしはがばっと起き上がった。
「寂しいわけがないじゃない! こっちは、痴漢に遭わずにせいせいしてたんだから!」
 顔を真っ赤にしてそう言うと、公美さんはなにが可笑しいのかくすくすと笑っている。
「君もしぶといね」
「え?」
「ここまでして、あれだけ感じていたのに、まだ私に降参していない」
「と、当然でしょ。あんたは変態の痴漢。あたしはその可哀想な犠牲者。それだけの関係よ! 今日、ここまでさせてあげたのは、ロマネ・コンティのお礼。それだけ!」
「ホントにしぶとい。普通、これだけやったら私の虜になるところだけど」
「…………」
 実際には、もう虜になりかけているのかもしれない。最初の頃は本気で抵抗していたけれど、最近ではそんな気がなくなっているのだ。ただ、人前でしたり、あまりにも変態的な行為さえされなければいいかな、と思い始めている。
 あたしはもう一度、まじまじと公美さんの顔を見た。
 やっぱり美人だった。それも、お高くとまっているような、取っつきにくい美人じゃない。愛嬌のある親しみやすい美しさ、とでもいうんだろうか。
 スタイルもいいし、頭もいいし、話してても楽しいし、お金持ちで色々とご馳走してくれるし。
 その上エッチがすごく上手で、とても気持ちよくさせてくれる。
 どうして、彼女を拒まなければならないのだろう。冷静に考えると、わからなくなってしまう。
 強いていえば、最初の出会い方がよくなかったことと、まだ同性ということに抵抗があること。そして、公美さんがいったいどういうつもりであたしにつきまとっているのか、その真意を計りかねているためだろう。
「どうしたの?」
 あたしがじっと見つめていると、公美さんは指先であたしの乳首をつんっとつついて言った。そのまま掌で乳房を包み込んで、身体を密着させてくる。
「ちょ、ちょっと……」
 あたしは戸惑いつつも、抵抗はしなかった。公美さんがもう一度するつもりなのか、単に身体を寄せ合っていたいだけなのか、判断がつかなかった。
「も、もう一回……するの?」
「したい?」
「べ……べつに」
 それは、強がりでもなんでもない。かつてないほどの絶頂を迎えた後で、身体には心地よい倦怠感と満足感が残っていて、物足りないなんてことは全然ない。
 しばらく公美さんと会わなかったせいか、実は最近、ひとりエッチの頻度が増えていたのだけれど、そのもやもやとした気持ちもすっかり消え去っていた。
 それでも、もうしばらく愛撫を続けられたら、きっとあたしの身体は反応してしまうに違いない。
「あ、あたしは別に。したいのは公美さんの方でしょ」
「まあね」
 公美さんは素直にうなずいた。
「先刻の君、すごく可愛かったんだもの。もう一回見たいなぁ、って。……いい?」
 いい? って訊きながら、いつの間にか手が脚の間に入り込んできて、指先が小刻みに動き始めている。
 どうしよう。
 あの快感をもう一度味わいたいような。
 でも、なんだか怖いような。
 このまま、もう少し話をしていたいような。
 絡み合う複雑な感情に、あたしは大きな溜息をついた。
「あーあ……美作百合子先生の正体が、こんなエッチな人だったなんて」
「そういえば君、私のファンなんだよね。これはもう、私のこと愛しているっていってもいいわよね」
「どうしてそうなるのよ!」
 あたしは素敵な小説を書く美作百合子のファンだけど、決して、痴漢常習犯である里原公美のファンではない。
「……そういえば公美さんは、どうして作家になったの?」
「そうねぇ……なんとなく、気付いたら作家になっていた……かな」
 あたしへの愛撫は続けながら、公美さんは言った。
「なんとなく……で、なれるものなの?」
「ね、『三度目の桜』って、読んでくれた?」
「え? もちろん」
 最初に、笙子が貸してくれた本だ。公美さん……美作百合子のデビュー作である。
「あれはね、高校の時の実体験がモチーフなの」
「え……?」
「昔から文章を書くことは好きだったからね。後でそのことを小説風にまとめて、なんとなく目に付いた新人賞に応募したら、運良く入選してしまったってわけ」
「え……だって……」
 公美さんは、微かに寂しげな笑みを浮かべていた。見慣れないそんな表情に、あたしの鼓動は急に速くなった。
 今まで知らなかった、公美さんの一面を見たような気がした。
 あたしは公美さんを、いつでも脳天気なお気楽倒錯性欲女だと思っていた。と言ったら本人は気を悪くするだろうが、それが事実だ。
 だけど――
「……ところで」
 耳元で、公美さんの声がする。
「もう一度、してもいい?」
「……もう、してるじゃない」
 先刻から、指の動きは止まっていない。いつしかあたしの胎内温度は上がり始めていた。
「それでも一応、今日は許可を得ておこうかと」
 どうして今日に限って、そんなに行儀よく、優しくしてくれるんだろう。おかげで拒むことができないではないか。
「……公美さんがどうしてもっていうんなら、もう一回くらい……いいよ。まだ、お母さん帰ってくる時間じゃないし」
「どうしても、したい。君がこんなに素直に受け入れてくれるチャンスは滅多にないもの。だから……いいわね?」
 こくん、とあたしはうなずいた。
 唇が重ねられ、指が動きを速めていく。
 ぴく、ぴくん。
 あたしの身体が小さく震えはじめる。
 本当に、こうしているとただのお気楽エッチなレズビアンなんだけれど。
 だから、にわかには信じ難いんだけれど。
 だけど――
 公美さんが、「実体験」と言った美作百合子のデビュー作『三度目の桜』は、本当に辛く切ない悲恋の物語だったのだ。



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