16


 その日は学校を大遅刻してしまった上に、結局午後イチの体育も見学することになった。
 胸にはキスマークがいくつも残っているし。
 窮屈な姿勢で縛られていたせいか、それともあんなに感じてしまったせいか、全身がだるかったし。
 まだ顔が火照っていたから、先生に「風邪で少し熱っぽい」と言ったらすぐに信用してもらえたのが、不幸中の幸いといえるかもしれない。
 昼休みは、お弁当もそこそこに自分の席で寝ていた。背中を叩かれてはっと起きると、みんなはもう着替えてグラウンドへ出た後で、教室はがらんとしていた。
 一人、着替えを終えた聖さんだけが横に立って笑っている。
「ハトは、グラウンドで見学? それとも保健室に行って寝てる?」
「ん……グラウンド、行く」
 目を擦りながら、ぼんやりと応える。
 本当は保健室のベッドで寝ていたかったけれど、さすがに保健室の山本先生には、熱なんかないって見抜かれてしまうかもしれない。
「大丈夫?」
「……ん」
 あたしはのろのろと立ち上がった。すかさず、聖さんが背後から抱きついてくる。
「熱っぽい潤んだ瞳のハトって、すっごい可愛いね。このままバッグに入れて持って帰りたいくらい」
 ぎゅう、と抱きしめて、背中に頬ずりしてる。
「もぉ……」
 あたしは緩慢な動作で、それでも身体を捩って聖さんの腕から逃れようとした。
 だけど、変に身体を動かしたのが失敗。聖さんの手が、一瞬だけまともに胸を包み込む形になった。
「あっ……あぁんっ!」
 思わず声を上げてしまってから、はっと気付いて口を押さえた。
 今の声、すっごくエッチだった。
 いつものじゃれ合いの時には、絶対に出さないような声。
 まるで、公美さんにエッチなことをされている時のような声。
 どうしたのだろう。
 聖さんの手が触れた瞬間、電流が走ったような快感があった。
 すごく、感じてしまった。
 聖さんに抱きつかれても、今までこんなことなかったのに。
 今朝、公美さんにさんざん弄ばれてしまった後遺症だろうか。身体中が、普段より何倍も敏感になっているような気がした。
 予想外の声にびっくりしたのか、聖さんがぱっと離れる。あたしは自分の身体を抱くようにして腕で胸を隠すと、真っ赤になって俯いた。
 恥ずかしい。
 恥ずかしくて、聖さんの顔をまともに見られなかった。
 女子校ではありがちな友達同士のじゃれ合いで、本気で感じて、あんな声を出してしまうなんて。
 ちょっと触られただけで感じてしまう、エッチな子だと思われてしまったかもしれない。
 聖さんは驚いたような表情で、呆然とあたしのことを見ていた。頬に、徐々に赤みが差してくる。
「あ……ご、ごめん!」
 聖さんは真っ赤になってそれだけ言うと、だっと教室から駆け出していった。
 どうしちゃったんだろう。
 あんなに赤くなって。
 恥ずかしいのは、あたしの方だと思うんだけど。
 結局この日は、放課後まで聖さんと目を合わせられなかった。



 放課後。
 とぼとぼと歩いて行くあたしの目に、校門に寄りかかるようにして立っている聖さんの姿が映った。
 特に根拠はないけれど、あたしを待っていたんじゃないかって気がする。
 でも、まだ顔を会わせにくい。
 かといって、黙って通り過ぎるのもどうかと思う。
 そんな葛藤の結果として、校門を出るところであたしは歩く速度を極端に緩めた。聖さんに、声をかけるきっかけを与えるために。
 聖さんは無言で近付いてきて、そのまま並んで歩きだした。あたしも無言のまま、速度を元に戻す。
 横目で、ちらりと聖さんを見た。
 こちらを見ずに、真っ直ぐに前を向いている。おそらくは、気を遣ってくれているのだろう。
 そのまま、駅までの数百メートルを一言も言葉を交わさずにゆっくりと歩いた。幾分気まずい沈黙ではあったけれど、決して不快ではなかった。
 多分これが、聖さんなりの優しさなのだろう。自分が利用する駅とはまったく反対方向なのに、ここまで付き合ってくれた。
 駅前まで来て、ようやく聖さんは口を開いた。喫茶店の前で足を止めて。
「……ケーキでも食べない? 昨日ちょっと臨時収入があったからさ。ご馳走するよ」
 どこか照れたように、口の中でもごもごと言う。
 多分、臨時収入というのは嘘だろう。あたしが気を遣わないように、という配慮に違いない。
 聖さんはあれで、なかなか細かなところにまで気が回る。
 嬉しかった。
 ケーキはきっと、先刻のことのお詫びのつもりなのだ。なのにそうとは言わず、ただ「ケーキをご馳走する」とだけ。
 そんなさり気なさが聖さんらしくて、なんだか胸の奥がぽっと熱くなった。
「……うん」
 小さくうなずいて、聖さんの後に続いて店に入る。店内は空いていて、あたしたちは隅の窓際の席に座った。
 ケーキセットを二つ、注文する。
 飲み物は、あたしがレモンティーで聖さんはコーヒー。
 ケーキを食べている最中も、ほとんど会話はなかった。天気のこととか、宿題のこととか、どうでもいいようなことをぽつりぽつりと話しただけだ。
「あの、さ……先刻は、ごめん」
 さりげなく、小さな声でつぶやくように聖さんが言ったのは、喫茶店を出て、それぞれ別方向に別れて帰ろうという時になってからのこと。
 聖さんは向こうを向いているけれど、ほんの少し、頬が赤くなっているのが見て取れた。
「ん……と」
 あたしも赤くなって、人差し指の先でぽりぽりと頬を掻く。
「別に、その……気にしなくてもいいよ。……でも、誰にも言わないでね」
 あたしが、ちょっと触られただけで感じてしまうような女の子だなんて。
「うん……ごめん」
「じゃ、また明日ね」
「ん……また、明日」
 小さく手を振って。
 あたしたちは、それぞれの家路についた。



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