『PM5時、2番ホームで待ってる。君の恋人より』
 そんなメールが携帯に届いたのは、授業中のことだった。
 誰だろう、「恋人より」なんて、ふざけたことを書きそうな友達。
 ひとり心当たりはあるけれど、発信者のアドレスは聖さんのものじゃない。
 そこで、はっと気付いた。
 あの人だ。
 他に考えられない。
 だけど、どうして?
 どうして、あたしのアドレスを知っているのだろう。
 そして――
 いったい何を考えてるの?
 もう、その後の授業はうわの空。これっぽっちも頭に入らない。今日が土曜日で、授業が昼までしかなかったのは幸いだった。
 そして放課後になって。
 まだ、どうしたらいいか決めかねていた。
 こんなメール、無視すればいい。
 普通に考えればそうだ。
 なのにどうしてか、放っておく気にはなれなかった。
 行かなきゃいけないような、そんな気にさせられてしまう。
 だけど、行くのも怖い。
 みんなが帰り支度を始めてもまだ席に着いたままでいると、例によって聖さんが背後から抱きついてきた。
「はぁとちゃん、みんなでカラオケでも行こ」
「え、……っと、でも……」
「都合悪い? ハトちゃんがいないと、私寂しいなぁ」
「ん……と、夕方から用事があるから、四時過ぎくらいまでなら」
「よし、決まり。行こう!」
 聖さんに無理やり立たせられて、あたしも帰り支度を始めた。



 午後、五時十五分。
 あたしは、駅の改札の前にいた。
 そこで、どうしたものかと思案していた。
 結局、聖さんや真澄たちとのカラオケは途中で抜けてきた。だけど、あのメールに書いてあった駅のホームへ素直に行くのも躊躇われる。
 どうしよう。
 心の中で、色々な感情が交錯している。
 帰ってしまえばいい。
 あんな女、無視してしまえばいい。
 メールなんか無視して、夜まで聖さんたちと遊んでいればよかった。
 会って、ちゃんと話をしたい。話をつけたい。
 あの人がなにを考えているのか、知りたい。
 いろいろ考えて、考えて。
 それで、少し遅刻。
 まだ、迷っている。
「あーっ、もう!」
 なんだか、腹が立ってきた。
 どうして、こんなに悩まなければならないのだろう。
 あたしは何も悪くないのに。
「……仕方ない。ここまで来たんだから、行こ」
 もしかしたら、悪戯ってこともある。
 ホームへ行っても、誰もいないかもしれない。
 だったら、また聖さんたちのところへ戻ればいいだけのこと。
 だけど、もしも。
 もしも、あの人がいたら?
「……話、しなきゃ」
 ちゃんと話して、もう止めてもらわなきゃ。
 いつまでも、このままじゃいけない。
 あたしは小さく深呼吸をして、定期券を改札機に入れた。
 ゆっくりと、歩いていく。
 一歩、一歩。
 ホームへ続く階段を、ゆっくりと昇っていく。
 だんだん、後悔の気持ちが膨らんでくる。
 どうして、来てしまったんだろう。
 せめて、聖さんか誰かについてきてもらえばよかった。
 今なら、まだ間に合う。
 このまま、逃げちゃえばいい。
 そんな想いとは裏腹に、足は一歩ずつ着実に前へ進んでいく。
 最後の一段。
 ホームに出る。
 社会人の帰宅ラッシュが始まって、人の多いホーム。
 だけど、すぐに見つけた。
 人混みを避けるようにして立っている、あの人。
 どこで着替えたのか、今朝とは服装が違っていたけれど。
 ホームにいる大勢の人間の中から、一瞬にして見つけ出すことができた。
 その他大勢の人混みの中で、その人だけが確かな存在感を持っていた。
 向こうもあたしに気付いて、こちらを見て静かに微笑んでいる。
 足がすくんだ。
 それでも、ゆっくりと近付いていく。
「遅い」
 あたしが口を開こうとした瞬間、向こうが先手を取った。
「ご、ごめんなさい……って、別に、文句を言われる筋合いはありません」
 反射的に謝ってしまってから、はっと気付いて言い返す。
 約束をしていたわけじゃない。向こうが勝手にメールを送りつけてきただけ。
 第一、この人はあたしをつけ狙う痴漢なんだから。謝る必要なんか、どこにもない。
 腹が立って、そのまま回れ右して引き返そうとした。
 その背中に、言葉がかけられる。
「落とし物よ。岡村美鳩さん」
 名前を呼ばれて、思わず振り返ってしまった。条件反射という奴だ。
 でも、どうして名前を知っているのだろう。その理由は、振り返ってわかった。
 彼女が手に持っているのは、うちの学校の生徒手帳だった。
「はい」
 あたしの前に差し出された生徒手帳。それは紛れもなく、あたしの手帳だ。
 落とし物、だって?
「君、今朝は慌てていたもんね」
「……嘘。あんたがポケットから抜き取ったんだ」
 ぼーっとしていたあたしを、介抱する振りをしていた時。そうとしか考えられない。
 あたしは女の手から手帳をひったくった。
「そうかもしれない。けれど、証拠はない……でしょ? ほら、そんな怖い顔しないで」
 罪悪感など微塵も感じていないような笑顔で、あたしの頬をつんつんと突ついた。
「せっかく、笑顔が可愛いんだから」
 歯の浮くような台詞をしらっと言う。
「強制猥褻行為の常習犯相手に、愛想よくしろって?」
 ふざけるなって。
 本当に図々しい女。
 あたしは意識して、むっとした表情を崩さないようにする。
「ところで美鳩ちゃん、一緒に食事でもどう? いつものお礼にごちそうするわ」
 お礼、だって?
 お詫び、ではないところがなんというか。
 本当に、なにを考えているんだろう。
 第一、自分を狙っている痴漢と仲良く食事する女子高生が、どこの世界にいるって。
「そんな顔しないで。怪しい店とか、ラブホとかに連れ込んだりはしないから。なんでも、君の好きなものをごちそうするよ」
 最初は、もちろん誘いに乗るつもりなんてなかったけれど。
 この台詞で、ちょっと考えを変えた。
 どうせなら――
「好きなものって、フランス料理のフルコースとかでもいいの?」
 意地悪く訊いてみる。
 どうせなら、仕返し代わりにうんと散財させてやろう、と。
 それに高級なレストランなら、変なことされる心配もないだろう。
 彼女はくすっと笑った。あたしの意図を見抜いたみたいに。
「いいわよ。なかなかしたたかな子ね。そういう子、好きよ」
 ぽんと背中を押されて、ちょうどホームに入ってきた電車に乗せられた。
 電車の中では、ほとんど話もしなかった。
 向こうは一方的にいろいろと話しかけてきたけれど、全部無視。
 一つだけ、あたしの方から質問した。
 彼女の、名前。
 意外なことに、あっさりと名乗った。犯罪者のくせに。
「そういえば、まだ自己紹介もしてなかったわね」
 ――と。
 どこの世界に、自己紹介する痴漢がいるって。
 偽名かもしれない、と思ったけれど、それが表情に表れていたのか、免許証まで見せてくれた。
 それで、この女性が「里原公美」という名前だとわかった。
「美鳩と公美、どっちから読んでもしりとりね」
 そう言って、相変わらず呑気に笑っていた。



<<前章に戻る
次章に進む>>
目次に戻る

(C)Copyright 2000-2002 Takayuki Yamane All Rights Reserved.