ふわりと漂う淹れたて珈琲の香りに誘われて、裸のまま包まった布団の中で、アタシ――岡村美鳩は身じろいだ。
起き抜けは、頭も身体もどこか薄ぼんやりとしてる。
ただ、頬だけは異様に火照っていて、熱でもあるんじゃないかってほどに……。
激しいセックスの後の朝はいつもこんな感じだった。
まだ、眠っていたがる身体とそろそろ起きなきゃという頭が喧嘩をしだして、アタシの意識はだんだん確かなものへとなっていく。
長い睫を震わせてようやく瞼を開けば、白いシャツを着た華奢な背中がぼんやりと浮かび上がった。
デスクに肩肘をつけたままの姿勢でカタカタカタとキーボードになにかを打ち込んでいる。
眠っている間にも聞こえていた音の正体。
うっとおし気に髪をグシャグシャとかき混ぜる。そういえば、ずいぶんと髪が伸びた気がする。締め切りの近い原稿を数本抱えているとかで、美容院にも行けないと嘆いていたことを思い出す。
汗といろんな体液でちょっと湿ったシーツにごろんと寝転んだままその背中をジッと眺める。こんなふうに仕事中の恋人の後姿をみるのがなんとなく好きだった。
面と向かってはなかなかジックリとは見れないから……。
この角度ならば遠慮なく見ていられる。
アタシがこうしていることも知らずに彼女は、相変わらずノートパソコンと睨めっこ。
なんだか相当煮詰まっているみたいだ。
珈琲カップに手を伸ばす。
左手はデスクの周りに無造作に置かれた書類を漁ったかと思えば、組んだ両手を上に伸ばして左右に背伸びをする運動。
(ぷぷぷっ……。へ〜、いつも、こんなふうに仕事してるんだね……。)
本屋さんに山積みされているあの本たちは、こうして出来るんだと思うと、その過程がみれて得した気分と実情はこうなんだとがっかりな気分が半々ってところか。
湯水が湧き出るみたいにすらすらっと描いているわけじゃないんだ……。
無防備なその後姿がちょっとだけおかしくて、いつもおちゃらけている年上の恋人の真剣な姿がなんだか素敵だなって思った。
めずらしく見直していたのに…………。
「おはっよー美鳩ちゃん、起きたの?」
朝の白い光の中で、CMの女優さんばりに振り返った彼女は甘く微笑んだ。
その表情に思わずときめきを覚えて、慌てて取りつくろった顔をする……。
「……公美さんてば、背中に目があるの?」
ジッと見ていたのを気づかれていたのかと思うとさすがにバツが悪い。
ムッと唇を尖らせるポーズをしながら……。
「ふふっ。あら、知らなかったの? 実はそうなのよ。女の子に、いつ後ろから刺されてもだいじょうぶなように、日頃から訓練してあるの……♪」
「へ〜。そうなんだ。……ていうか、それ、ぜんぜん冗談に聞こえないんですけど……?」
アナタが言うと、洒落にならないって!
「バカね……。冗談に決まってるでしょ。私は、美鳩ちゃん一筋っていつも言ってるじゃないのォっ!」
「さーどーだか……。別にいいけどね。…………でも、浮気したら、即効でバイバイだからっ!」
いつもの台詞を念を押すように強く言うと、途端に慌てふためくのがちょっとおかしい。
内心の喜びを噛み締めつつ、怒った顔を作ったまま続ける。
「それに、悪いけど、アタシは、後ろからなんて言わずに、前からぶすっ刺すから。せいぜい用心してよっ!」
「あぁんっ、みく、ちゃぁ〜ん〜〜」
(くくっ……。)
なに言ってもへらっとしている人が、こんなふうに焦ってるのがなんだかうれしくなった。
そんな気持ちを悟られないように必死に表情を作るのも近頃はだいぶ難しくなった
と自覚している。
でも、こんなふうに冗談を言っていられるうちはいい。
いつか、公美さんに浮気されたらと考えると本気で怖くなる。
(あぁ、こんなはずじゃなかったのになぁ……。)
出逢った頃は、彼女のほうがアタシに夢中だった。
しばらくは友達以上恋人未満……なのに身体だけは繋げるという……ただれた関係が続いて、ようやく恋人という関係に落ち着いてから約一年か……。
いまでは、なんだかアタシの気持ちのほうが逆に彼女を想っている割合が多いような気がしてしょうがないんだ。
悔しいから、公美さんには絶対に言わないけど、でも、事実だ。
こんなふうに近くにいるだけで、アタシの心はひどく騒いだ。
ボサボサと頭だけど、それさえもなんだかキュンてなる。
公美さんは、いつから起きているのか、赤い目をして気だるい雰囲気を纏っていた。
ボタンをちゃんと閉めていないせいで胸元が大きく肌蹴て膨らみの上の辺りに昨夜せがまれてつけたアタシがつけた赤い斑点がみえた。
昨晩の濃厚な睦みゴトを思い返せば、頭がくらくらする。
公美さんに浮気されて、ホントに別れることになったら簡単にバイバイが出来ないのは、きっとアタシのほうだよ。
強がりな態度は、そうなるのが怖いという裏返しの言葉でもあった。
アタシの恋人はとにかくモテる人。いやになるほどモテるから困るんだ。
恋人が魅力的な人というのはうれしい反面、不安材料でもあった。
しかも、本人もこのとおり軽いノリで、可愛い女の子が大好きと公言までしてるから始末におえない……。
容姿端麗で、頭脳明晰。多少は性格(性癖?)に難は抱えていても見た目ではぜんぜん分かんないし。
大人で社交的で、しかもお金持ち。ここまで揃えばいっそ嫌味なほどだ。
それに、人に嫌悪を抱かせることのない彼女には愛嬌があった。
男は恋愛対象にならない彼女だから、そっちは省いても。こんな素敵な人だったら普通の女の子だって、惚れちゃうだろう。
そしてなにより、彼女には凡人にはない秀でた才能があった。
公美さんの周りはいつだって煌びやかに輝いている。
なのに、アタシはというと、どこにでもいる普通の女子高生。
自慢は、ちょっと大きめな胸と童顔な美貌と、あとは、若さだけ……?
でも、そんなのいまどき胸が大きい子なんて珍しくないし、あと、一年もすれば公美さんの大好きな女子高生じゃなくなってしまう……。
性格もぜんぜん素直じゃないし、短気だし、可愛くない。
(公美さんって、どうして、アタシと付き合ってるんだろう……。なんかよく分からなくなってきた……)
社交的な恋人には友達もたくさんいる。
職業柄、人に会う機会も多いらしい。そういえば、こないだも出版社のパーティだとかなんとか言ってドレスアップして出掛けて行った。
平凡な女子高生とは程遠い世界だ。
考えれば考えると、いつ、浮気されてもおかしくない状態のように思えてくる。
その日がいつになるのか、アタシは、ビクビクしながら毎日怯えていた。
でも、ホントのところ実際には、どうなんだろう……。
アタシが気づかないだけで、隠れてされているって可能性だってないわけじゃないし。
(えっ、ウソ。もしかして、浮気されてる……?)
…………そんなのわからないよ。
だって、アタシは恋人を持つこともキスをすることもなにもかも公美さんが初めてなのだ。
逆に相手は百戦錬磨のプロ中のプロときてる。
女の感なんて、相手が女でも鼻が利くのかどーなのかもわからないし……。
本人は冗談でたまにそういうこと言うけど……。
影で浮気されていてもアタシは気づかないかもしれない。
でも、恋人は、性格にかなり問題があるけど、絶対にウソはつかない人だ。
それだけは断言して言える。
もしも、アタシ以外に好きな人ができたら、彼女は真正面からそう告げて別れを切り出すだろう。
いまは、その気配はない。こんなふうにアタシをドキリとする冗談はたまに言うけど。
だいたい、公美さんは釣った魚にエサを上げないどころか、丸々に肥えさせて、後で、頭から足の先までぱっくり食べちゃうような人なのだ。
一年も付き合って、いい加減、えっちの回数だって減るところなのに、前に増して増えている気がするし……。
あ、そっか……。
こないだなんとかっていう大きな賞をもらったせいかもしれない。
メディアに注目されるようになって、きっと、おおっぴらに悪さできないんだ。
ふんっ。ざまあみろだよっ!
「あん、もー、なによその顔は、アタシは浮気なんて絶対にしないわよ。ホントよ、美鳩ちゃん、知ってるでしょ? いいわ……。信じられないのならいまから身体で証明してあげる……」
そう言って、ガタンと椅子から立ち上がるとこっちに向かってくる。
裸のまま半分ボタンを閉めただけのシャツは、彼女が動くたびチラチラと胸元が覗けた。
うっすらと汗ばんだ胸の谷間は妙に大人の色香を感じさせる。
相手は恋人なのに、見慣れているのに、なんでアタシったら、男みたいになんでドキドキしてんのよ……?
見蕩れている隙に、強引に顎を取られて上を向かされた。
まぬけに空いてしまった口の中に舌を入れられて、おはようのキスにしてはやけに
濃厚なキスを仕掛けてくる。
「あ、ちょ………んん………!」
起きぬけの鈍い頭で抵抗するのは困難で、すっかり力の抜けきった身体は、恋人のされるがままに。
口の中をぐるんとかき混ぜて。
唾液をピチャピチャと遊びながらののっけから相当いやらしいキス。アタシは、彼女のシャツの裾を掴んで口腔を蹂躙される甘さに耐えるしかなかった。
そうして、たっぷりと口の中を味わわれると、最後に「チュ」って下唇に吸い付いて、ゆっくりと離れていく。
二人を繋ぐ透明な橋が、シャボン玉が弾けるみたいにプチンて消えた。
―――追加項目。彼女は、キスがチョー上手い……。
(あぁ……、もう、朝から、ホント止めてよね。)
能天気に笑っている顔をギッと睨みつけるけど、あまり効果がないのはもう知っている。
うるうるの涙目で見上げたって、「もっとして……」と誘っているようなものだと、つい先日もこの恋人に言われたばかりだ。
「信じてくれた? こんなキスするのは、美鳩ちゃんにだけよ…」
ちょんって鼻の頭を人差し指で弾かれた。
キザったらしい仕草がやけに嵌っちゃうんだから、この人は……ホント厭になる。
なにか反撃したいけど、言えば、またどんな目に遭うか分からないからアタシはジッと押し黙るしかなかった。
「で、続きする…?」
「もうっ! 朝っぱらから、なに発情してんのよ。昨日、さんざん……ていうか、早く原稿終わらせなよ、締め切り今日の夕方って言ってなかった?」
「……もう、忘れてたのに、意地悪ね」
公美さんは、拗ねたみたいに唇を尖らせた。
大人のくせに、まったくころころとよく変わる表情だと思う。それが、この人の魅力の一つでもあった。
アタシたちは十歳ぶん年が離れているけど、普段一緒にいてそれを感じることってあまりない。たぶんそれは、彼女のほうが、自分のほうまで降りてきてくれるからだと思う……いや、というより、単に我侭で子供っぽい公美さんの性格に問題があるんだね。
そのくせ、無駄に大人の色気ムンムンフェロモンを振りまくホント困った人だよ……。
屈むと覗く胸元はさすがにアタシの心臓に悪いから隠すよう、公美さんのシャツに手を伸ばしてボタンを閉めてあげる。
と、恋人が、なんでもお見通しの顔をしてニヤって笑った。
アタシは拗ねたように唇を尖らせながら。
「なによ!」
「ん〜ん。別に…………ていうか、美鳩ちゃん、ちょっと熱っぽい?」
そう言って、おでこに手をあててくる。
熱……?
さっきから、熱い熱いとは思ってたけど、ホントに熱があったのかな?
十二月のこの時期は、毎年のように大風邪を引いて寝込んでるアタシだからもしかして……。
いや、違うよ……。熱はあるかもしれないけど、それは公美さんのせいだ。
あんなに啼かされて、愛されて昨晩の二人分の熱が布団の中にまだ篭っているみたい。
そんな恥かしいことは言えないから、そのままジッとしているけど。
あぁ、でも、ホントにこんなことして遊んでいる場合じゃないんじゃないの……?
壁掛けの時計をみたら、まもなくお昼になるところだった。
ずいぶん寝ていたみたいでビックリする。でも、昨日、一緒に眠ったのって、確か夜中を回っていたはずだし……。
アタシがいたから原稿進まないんじゃ申し訳なかった。
というより、アタシをダシにサボろうとしているのがみえみえなのが許せない。
だから、いつも、ちょっとうるさいくらいに言ってしまう。
アタシだって、こんな日は二人でのんびりしたいよ。
けど、それが公美さんの仕事なんだし、公美さんの本を待っている人が自分を含めてたくさんいるんだ。
昨日も学校の帰りに電話したとき、そんなに忙しいなら約束してたけど行くのやめようかって、親切心を持ちかけて言ったのに彼女の返答はこうだった。
「美鳩ちゃんが傍にいてくれればイメージが膨らむからそんなこといわないで……」
たくっ……!
調子のいいことばかり言って、結局は、原稿なんてそっちのけでそういうことをしちゃったんじゃないのよォ。
それで、赤い目をしながら徹夜してるなんてバカじゃないの?
言っとくけどアタシは悪くないよ。公美さんがすべて悪いんだからねっ!
求められるまま我を忘れて激しく絡み合ったことを思い返せば、やっぱ、同罪かも。
散々攻められて、まだ下半身が痺れている感じだった。
FAXの電話が鳴った――。
いつの間にか抱きしめていた公美さんの身体がビクッと揺れる。
「ほら、鳴ってるってば、……出ないの?」
彼女のいい匂いのする首筋に顔を埋めながらその背中をポンと叩いて言う。
「あー、うん。ねー、美鳩ちゃん、お願い、出てくれる? 編集部からなのよ……」
「なんで、いやよ……」
「いいから、お願い。それでさ、アタシ、風邪ひいて今日中は無理だから明日までには絶対上げるって伝えてくれる…?」
「えーっ、またぁ? 絶対いやですー。だいたい、そんなの自分でいいなよ………」
ぜんぜん風邪なんてひいてないじゃないの!
冬でも裸で寝てたって、平気な人のくせに。
それにウソなんかつきたくないっ!
「もう、お願いよ。お願い、今日だけ。ねっ、お願いしますっ、美鳩ちゃ〜ん、このとーりよ……美鳩ちゃぁ〜んてばっ…っ………」
眉根を下げてスリスリと拝まれれば、それ以上強くは言えなかった。
確かに、ここのところかなり仕事を詰め込みすぎているみたいで、優麗な目下にも隈らしきものが出てきていた。
ちょっと可哀想かも……と思っていたところだった。
だからって、この女をこれ以上調子づかせてはいけない。
一度でも甘い顔を見せれば、いい気になるに決まってるんだからっ。
「も〜〜っ、しょうがないなぁ。今日だけだからねっ!!」
アタシは、おおげさなくらいため息をついて「よいしょ」と立ち上がる。
ソファに掛けてあった自分用の バスローブを羽織って、公美さんの目の前でもう一度これ見よがしの大きなため息。
「――――――はい、はい。申し訳ありません。美作先生、なんか朝から熱があるらしくって。明日には必ずって申しておりますから……。……はい。はい。ご迷惑お掛けします。…………すみません。はい。では、失礼します……」
静かに受話器を落とすと、はーとため息が零れた。
誰が先生だ!
お前は、仮病を使う小学生かってーの!
「……次はないからっ! ホント、いい加減にしてよねっ!」
「はぁーい」
片手をあげていいお返事ね。
って、子供かいっ!
あぁもう、そういうのがアタシのツボなんだってば。可愛いいじゃない。人の気も知らないでやめてよねっ!
「ねー、公美さん、なんか、最近変わった担当さん、アタシのこと公美さんのマネージャーかなんかだと思ってるみたいなんだけどォー…………」
「あはっ。いつもいるからね。まっ、いいじゃない? それより美鳩ちゃん助かったわ。ありがとね。じゃ、お礼においしいランチご馳走するわよ。イタリアンでいいかしら?
……あー、それとも、続きする?」
「もうっ、そう言って、昨日もさんざんしたんじゃないのよう! ダメよ。今日は、一歩も表に出さないからね。ランチもアタシが作るし。いいから、公美さんは、ちゃっちゃと原稿やっちゃってよ。中学生じゃあるまいし、いい年して仮病なんか使って遊んでどーするのよ。期限はちゃんと守らないとダメでしょ!」
言いながら、いつのまにか、腰に回っていた手のひらをバシンて叩き落す。
この大人は、ホントに油断もすきもないんだから……。
そんなアタシの不遜な態度に、彼女は苦笑いを浮かべながらこめかみあたりをポリポリと掻いた。
「ははっ。まいったな。――はいはい。分かりましたー、やりますよーだ。―――そういえば、こないだ編集長が美鳩ちゃんのことスカウトしたいとかなんとか言ってたわね……」
「……スカウト?」
なにそれ……?
自慢じゃないけど、街を歩けば「読者モデルやりませんか?」なんてお誘いを掛けられるのもしょっちゅうのアタシだ。
どちらかと言えばAV勧誘のほうが多いっていうのがムカつくとこだけど……。
まぁ、それもいたしかたない……。
胸の大きさと童顔のアンバランスさが、自分の最大限の魅力だってことはもう知っている。
公美さんとお付き合いするようになってなのか、最近、変なフェロモンも出たと友達にも言われたばかりだった。
でも、公美さんの小説を載せている出版社なのに……なんのスカウトなの?
アタシなんか、国語の成績も危ういっていうのにましてや小説なんて書けないよ……?
「そーじゃなくてね。編集部にどうかって話よ。最近入った新人の子が辞めちゃったんですって……。最近の子は、続かないみたいよ。まぁ、校了前になると悲惨だからその気持ちも分かるんだけどねぇ〜。それに、美鳩ちゃんってば、可愛い顔して案外スパルタだし……」
アタシに向かって、そんなこと言うのはあなただけよって、笑われた。
(なんだそういうことか……。)
この家でも、何度か鉢合わせしたことのある編集長さんは、黒ぶちメガネがトレードマークの四十歳くらいのおばさんだ。
いや、おばさんなんて言ったら怒られるかもしれない。
いかにもバリバリ仕事が出来ますって感じの公美さんを十歳くらい年を取らせたようなキャリアウーマンだ。
彼女も公美さんの友達。飲み仲間らしい……。
そして、アタシたちのホントの関係を知っている数少ないうちの一人だった。
「それに、受け答えもいまどきの子にしてはちゃんと出来るし……。卒業したら、ホントにどう? 口利いてあけるわよ?」
(ちゃんとなんてしてるかなぁ……?)
でも、それは、たまたまウチの高校でマナー講座の特別授業があったからで……。
だいたい、公美さんが、ちょくちょくアタシを使うから自然とこうなったんじゃないよ!
まぁ、恋人にそんなふうに褒められるとまんざら悪い気はしないけどさ。
出版社かぁ……。
そんな道があるなんて、ぜんぜん考えてもなかった。
実際に、将来なにをやりたいかもいまはなにも思い浮かばない。
こないだ提出した進路調査の紙には、適当な短大を書いたばかりだった。
確かに来年は受験生になるわけだから、そろそろ将来のことも真剣に考えなきゃとは思ってはいたけど。
就職っていう選択肢もあったんだ……。
いつも公美さんの原稿を取りに来る人も、スーツが似合うすごく素敵な女性だった。
それに景気が良くなったとは言っても、まだまだ就職難だっていうし、アタシなんか勉強が出来るわけでも、なにか特技があるわけでもない。
それ、ちょっといいかもしれない……。
だんだんその気になってくる。
「編集者」って響きが、まずは、お洒落な感じじゃない……?
前にその担当さんから聞いた話によると、出勤時間は朝遅くてもいいんだとか。
その分、夜は長いのかもしれないけど、低血圧のアタシにはすばらしく魅力的だ。
公美さんに言われてすっかりその気になったけど、ハタと思い直す。
のらりくらりと言い訳をしながら、こんな我侭放題の作家を四六時中相手にしなきゃならないなんてやっぱり大変そうだ。
この人が、恋人ってだけでも十分苦労しているのにさ……。
…………まぁ、こんなやりたい放題の作家なんて公美さんくらいなもんだろうけど。
そう、アタシの恋人は売れっ子の女流小説家で、その名を美作百合子という。
つい先日もなんとかって有名な賞を取って、ベストセラー作家に仲間入りを果たしたばかりだ。
しかも、このとおりの容姿なもんだから世間様がほっとかない……。
一時期は、注目の美人女流作家として、バンバンメディアに取り上げられていた。
そういうアタシも、美作百合子のファンで、いまは、発売日前に読ませてもらっている。
やさしい文体と独特の表現力で、アタシの年代の女の子はもちろんのこと老若男女幅広いファンに愛されていた。
そして、その作風には女性同士の話が多いことでも知られていた。
知名度が上がるほどに、おかげさまで、彼女は、寝る暇もないくらい超多忙な生活を強いられている。
そんな、小説家と女子高生という一見接点がなにもないようなこの人となぜ、こうしてお付き合いすることになったかというと、それは、ある出来事がきっかけだった。
高校から始まった電車通学。
この容姿のおかげで、アタシはよく痴漢に遭遇していた。
今では社会問題になっている痴漢問題。
痴漢は、男が悪いに決まってるのにこないだやってたワイドショーのキャスターがふざけたことを言っていた。
『そりゃ、一番悪いのは痴漢をはたらく男だけど、スカートが短かすぎる女の子たちも悪いよなぁ……。男を誘っているのかと思えてくるじゃない?』
はぁ? アンタ、テレビでなに言ってくれちゃってんの?
女の子は別に、男に魅せつけるために短いスカートを穿いて脚を出しているわけじゃないよ。
確かに、そういう子も中にいるだろうけど、少なくともアタシは絶対に違う……。
自分を一番綺麗に魅せたいから。脚のラインを美しく飾りたいから。
それは、人のためにじゃなくて、自分のために、だ。
そういう思いで寒いのも我慢してしているのにそんなふうな言われ方をするのはひどく納得がいかなかった。
そんな女の子たちに付け込んで痴漢をするヤツらなんて言語道断もいいところだ。
アタシは、か弱い女の子を痴漢やレイプするやつが一番許せない。
自分だけの欲望を独りよがりで満たすなんて最低最悪のやつらだ……。
女の子に声を掛ける勇気もないただの根性なし。
だったら、うざいけど街中でナンパしてくる人のほうがよっぽどましだった。
イメクラやソープで大枚を払って、女の子に触ろうとするオヤジのほうがまだ誠意があると思う。
その日も相変わらず痴漢にあっていた。
でも、いつものそれとは明らかに違っていた。
スカートの上から触れてくる繊細な指使い、ふわりとただよう甘い香水の香り。
そう、相手は女だったんだ。痴漢は男の専売特許だと思っていたのに、女の痴漢がいたなんてホント驚きだった。
しかも、いままで感じたことないようなほどアタシは感じてしまっていた。
だって、相手が女のひとだから……。女の感じるポイントがよく分かっているのかもしれない。
いや、いまなら、公美さんのテクが半端じゃなかったんだって分かるけど、夜な夜なひとりエッチに励むくらいで、彼氏と付き合ったことも、セックスという行為は知っていても実際にはどんなことをするのかおぼろげだったアタシにはかなりの衝撃だった。
嫌がって泣いても決して止めてくれなくて。人ごみの中で執拗なほどに攻め立てられた。
痴漢なんかに死んでも感じたくないって思うのに、パンツは粗相をしちゃったみたいにびしょびしょにされた。
しかも、そんな悪戯が、毎日のように続いた。
そんなふうにして、公美さんは、アタシに女の味を刷り込んでいったんだ。
何も知らない真っ白な身体に甘い毒を含ませるみたいに。
気づいた頃には、彼女の思う壺で、アタシはすっかりその女の虜になっていた。
あの頃のことを思い出すと、いまでも悔してキリキリ歯軋りしちゃう。
だって、公美さんは、さんざんやりたい放題して、ちゃっかりアタシまで手に入れたのだ。
女の痴漢を愛してしまった少女の話なんて、それこそ小説にでもなるんじゃないの……?
実際に、彼女の小説のファンでもあるアタシは、そこに自分と似通った少女が載っていることも知っている。
公美さんの最新作。ベストセラーを取ったあの超人気シリーズ『赤い爪』。
今度、映画化になるという噂もあるリアルサスペンスものだ。
女に、散々ストーカーされたあげく監禁されてしまったあの胸の大きな女子校生のモデルは間違いなくアタシだろう。
アタシと公美さんが付き合っていることを知っている人が読めばすぐに分かるはず。
その少女が、この先どうなっていくのか自分とシンクロさせながら複雑な気持ちで読んでいる。
それを日本中、いや世界の人にまで読まれているなんて考えただけでも赤面ものだった。
「はあぁ……。なんかお腹すいちゃった。ねー、公美さん、パスタでいいよね?」
「うん。ありがとー」
簡単にシャワーを浴びてから、使い慣れたキッチンに立つと大きな鍋を取り出した。
並々と水を入れたそれを火に掛ける。
その横で、ナポリタンの具に使う野菜を刻んだ。
うちはちいさな頃から母子家庭で、お母さんは、夜のお勤めだったから一通りの料理はなんでも出来た。
なんていうか、必要に迫られて覚えたって感じ……?
それに、公美さんのマンションのキッチンはウチのとはぜんぜん違って、大理石でできていてすごく広くて使いやすいから、ついつい張り切って料理をしたくなっちゃうんだ。
グルメな恋人に「おいしい」と喜んでもらえるのはやっぱりうれしいものだし……。
「ん〜っ。おいしそうないい匂いね……」
「うわっ! もうっ、危ないな、いきなり後ろに立たないでよっ!」
いつのまに立っていたのか、後ろから腰をギュって掴まれた。
ちょうど、まな板の上でサラダ用のプチトマトを切っていたところだったから、危うく包丁を落としそうになった。
「美鳩ちゃんって、ホントお料理上手よね。それに盛り付けのセンスがいいの。エプロンも似合うし……。ねぇ、ウチにお嫁さんに来ない……?」
もう、そんなことばっか言って!
こんなふうに何度プロポーズされたかわかんない。ていうか、毎日言われてる。
公美さんって、前世は絶対イタリア人かなんかだよね……?
軽く言うから、本気じゃないのは分かってるんだけど、そのたびにアタシはドキドキしなくちゃいけなくてホント心臓に悪いんだ。公美さんは、そんなこと知らない……。
いや、知ってて揶揄ってるのかも……。あー、ムカつくよっ!
「絶対いやですー。だいたい公美さんが、旦那様なんて一生苦労しそう……」
「どうしてよ! 毎晩、愛してあげるわよ……?」
「あー、もうっ、昼間っからいい加減にしてっ!」
うるさいイタリア人の口に、トマトを詰め込んだ。
彼女はもごもごしながら、フッと笑みの皺を深める。
薄茶色のその眸の奥がやらしく光ったのをアタシは気づいた。
ピタリと身体が寄せ合って。
向き合う形になると、彼女が首を屈めてくる。
キスするにはベストポジションにある顎を掴むと、両頬を押さえられて上を向かされた。
目を瞑る暇もないまま、唇が重なりあう。
そうして、空いた口の中に舌ではない冷たい何かが入ってきた。
さっき、アタシが突っ込んだプチトマトだ。
つるんとした赤いものが、彼女の舌の上から転がってくる。
公美さんの唾液がついて、ほどよく温ったまったそれが。
(間接キス……?)
なんて中学生みたいなことを考えて、そんなことを思った自分に苦笑した。
昨日は、さんざんあらぬところを舐めたりなんだりしといて、いまさら純情ぶるなんておかしい……。
「………ンッ…………」
驚いて目を開けると、恋人が眦を下げながらジッとこっちを見ていた。
急に恥かしくなって、慌てて閉じる。
キスされているときの顔を見られるのって、すごく恥かしい。
やめて欲しいといつも言ってるのに、感じてる美鳩ちゃんの顔が可愛いからとか歯の浮くようなキザったらしいことばかり言って、すっかり懐柔されてしまう。
そんなアタシの反応に、公美さんが、喉の奥で、「フッ」と笑った声が聞こえた気がした。
(あぁ〜ん、もう、やだってば、ホント恥かしいよ……。)
これを食べていいのかどうしようか、しばらく考えていると。
彼女が、わずか腰を屈む気配がした。
おそるおそる目を開けると、赤い舌を大きく出したまま意味深ににやけている。
なにを言いたいのかは、すぐに分かった。
恥かしいけど、ずっとそうさせているわけにもいかず、口の中に止まったままのトマトを彼女の口の中に押し戻した。
公美さんがうれしそうに受け取って、また、アタシの口の中に運んでくる。
それを何度も行ったり来たりさせた。
薄くお化粧しただけのけぶった睫が、目の前で微かに揺れている。
こんな近くで恋人の顔をマジマジと見つめるのはひどく照れくさい。
でも、ずっと見ていたくなるくらいすごく綺麗な顔だと思う。
スッと通った鼻筋も、弓なりの眉も、やや茶色掛った大きな眸も、魅惑的な唇も。
各パーツが綺麗に嵌っていて、こういう顔を美人っていうんだと思った。
昼間から、キッチンでこんなことをしているのが、急に恥かしくなってきた。
何回目かでアタシの中に来ていたトマトをやんわりと噛んだ。
じゅわっと果汁が染み出す。
二人分の唾液の味のするやらしいそれを口の中に残しておくのは心臓に悪いから、ゴクンって一気に飲み込んだ。
沈黙が痛い。
こういうのは、いつまで経っても慣れない。
むしろ、公美さんを恋人と意識するようになってからひどくなった。
「……ねぇ、もう出来たってば、食べないの?」
ドキドキとうるさい胸の鼓動に知らない振りをして、アタシは、彼女から目を逸らしたまま告げる。
こんな甘い声、がらじゃないのに……。絶対、公美さんも変だって思ってるよ。
「なにを? 美鳩ちゃんを……?」
「なっ! もう、違うってばっ、ナポリタン……。せっかく作ったのに冷めちゃう……っ……」
もう、これ以上揶揄るのやめてよ。なんだか泣きそうになった。
「ごめんごめん。じゃ、食べよっか。――――で、そのあと遊んでくれる……?」
両手で頬を包んだままコツンておでこをぶつけてきた。
熱を測るみたいに。そんなことされたらホントに熱が出ちゃいそうだよ。
遊ぶって、……なにで?
そんなこと聞かなくても分かっている。
彼女の顔をみれば。
目を瞑ったまま渋々頷いた。
「仕事は?」なんて野暮なことは聞かない。
アタシだって、火が点いちゃった。ホントはこのまま公美さんに抱かれたいと思っている。
脚の間がフライパンでバターを焦がしたみたいにジュワっと熱くなってる。
プチトマトであっさりその気にさせてくれた公美さん。アタシってば、お手軽すぎかな……?
「うわっ、ホントおいしそうね……。いただきまーす」
何事もなかったように席に座ると、彼女の注意はすでに食べ物に向かっている。
急に悔しくなった。
ねぇ、こんなふうにまだ、もやもやしてるのはアタシだけなの……?
「公美さんっ!」
抱きついて、その首筋に噛み付いた。キスマークを付けるみたいにきつく吸い付く。
ちょっと赤く残ったのに溜飲を下げる。
「……やったわねっ!」
低く囁くような声とそのお返しにされたのは、泣き出したくなるほど濃厚な毒を盛った甘い口付けだったんだ―――。
◇ ◇ ◇
カチャカチャと食器の鳴る音がする。
ほんのちょっと気まずい空気。
そう感じるのはたぶんアタシだけで、目の前の人は、いつものように大口を開けて、くるくる器用に巻いたパスタをおいしそうに頬張っている。
こういうとき、やっぱりアタシのほうが相手を想う気持ちが強いんじゃないかって思えて切なくなる。
緑の中で赤く映えたプチトマトにぶすっとフォークを突き刺した。
「あっ、そうだ。渡すの忘れてた、美鳩ちゃん、はいこれ………」
「ん?? なにこれ、手紙? エアメール?…………って、ああぁ!!!」
英語で書かれた差出人の名前をみて、思わず声を上げる。
from "sei" そう、それは、聖さんからのものだった。
聖さんというのは、一年のときのアタシのクラスメイトの名前で。
―――本名は、佐藤聖子。
同級生から、“聖さん”と“さん”づけで呼ばれるほど大人っぽい大好きな親友だった。
去年の夏休みの最後の頃に、彼女が、ロサンゼルスに引っ越してしまったときには、あまりのショックに高熱をだして寝込むほどだった。
だって、本当に仲が良かったから……。
月に何度かは、国際電話やメールのやりとりをしていたけど、手紙なんてもらったのはさすがに初めてだった。
(あれ? でも、なんで聖さんからの手紙を公美さんが持ってるの……?)
「アタシのところにも来てね。美鳩ちゃん宛てのも一緒に入ってたの……」
「ふ〜ん……」
疑問が顔に出ていたのか、なにも言わないのに彼女がそう応えた。
「どうせ、週の半分はこっちにいるんだし、気を利かせてくれたんじゃない?」
「そっか…」
アタシは、ベビーリーフを口の中にもごもごさせたまま、その封を切った。
外はすべて英字で書かれていたけど、中身は日本語だった。よく考えれば当たり前だけど……。
斜めに滑るような綺麗な字列を目で追いながら、だんだん口元が緩んでくるのが分かる。
すべて読み終えたとき、アタシは思わずバンザイしてしまった。
「ねぇ、公美さ〜ん、聖さん、聖さんが、聖さん、日本に帰ってくるんだってー」
「……そうみたいね。従兄弟の結婚式があるんでしょ……?」
「うん……。でも、一週間くらいこっちにいられるって。久しぶりだよー」
すっごくうれしい。
だって、ずっと会いたかったんだ。
でも、ちょっとやそっとで会いに行けるような距離ではなかった。
時差十三時間というのは、どんなに固く結ばれた絆でも簡単に二人の心を離させ
てしまう。
聖さんがアメリカに行ってしまって、ずっと寂しかった……。
学校に友達はたくさんいるけど、聖さんはやっぱり特別な人だったから。
それに、メールじゃなく直接、聞いてもらいたい話もたくさんある。
聖さんに久しぶりに会えるんだ……。ホントにホントに涙がでるくらいうれしい。
アメリカという土地で元気にやっている友人は、きっと前よりも大人っぽくなっていることだろう。
背とか伸びているかもしれない。青い目のガールフレンドは出来たかな……?
きっといるね。いっぱいいそうだ……。
アタシが、そんな想いを馳せているのをジッと見ながら、彼女はおもしろくなさそうに綺麗な顔をクシャクシャと歪ませた。
「ふ〜ん。そんな顔しちゃうんだ? ずいぶんとうれしそうじゃないのよ!」
「ムッ。なによ。だって、ホントに会うの久しぶりなんだものいいじゃない……」
なんで、そんな顔されるのか分からないよ。
一緒に喜んでもらえると思ったのに……。ちょっと面白くなくてぶすっとする。
「いまの美鳩ちゃん、なんか、離れてた恋人に会うみたいな顔してるわよ……?」
「そ、そんなことないよっ! 聖さんは、アタシの一番大事な、親友で…………」
「あぁ〜、身体の関係もあった……“親友”……ってやつね……?」
「うっ…………!」
鋭い突っ込みにうな垂れる。
でも、それも事実だった。
一度だけ、聖さんと身体の関係を持ったことがある。
ちょうど、公美さんに悩まされていたころに、聖さんがロスに転校するって話を聞かされて、すごく寂しくて思わずその腕を取ってしまった。
あのときは、お互い勢いでしちゃったようなものだったけど、後悔はしていない。
アタシを友達以上に見ていていたと告白してくれた聖さん。うれしかった……。
でも、恋人にはなれない。その理由が転校にあるんだと分かったとき、アタシも彼女との想い出が欲しいと思った。一生忘れない二人だけの想い出が……。
そんな純粋な気持ちを人にどうこう言われたくない。たとえそれが恋人でも……。
あの頃は、確かに公美さんとのことはあったけど、まだ付き合っていたというわけじゃないのだから、浮気とも違うと思うし。
…………まぁ、後ろめたさがぜんぜんないといえば、それはウソになるけど。
挑むようにジッと公美さんをみる。
むすっとして、めずらしく不機嫌。
でも、彼女の顔は怒っているというよりは、焼もちをやいてるふうだった。
公美さんみたいな人でも焼くんだって、ちょっとうれしくなった。
「なに、笑ってるのよ……?」
「うんん。別に……。ただ、公美さんでも、そういう顔するんだなぁって……」
「な、によ……?」
慌てたように自分の顔に手をあてている。
へ〜。そんな顔もしちゃうんだ。
いつも大人でなにをしても飄々としている恋人が、なんだかとても可愛らしく思えた。
焼もちを焼くのは、相手のことが好きだって証。
アタシばかり浮気の心配をしなくちゃいけないなんて、そんなのフェアじゃないものね。
「あぁ、うれしいなぁ〜。うれしくて、どうしよう……。聖さんに会ったら、また、好きになっちゃっうかもしれないよねぇ〜……」
「意地悪な子ねぇ……」
コツンて軽く頭を叩かれた。
公美さんい珍しく焼かれていて、大好きな聖さんが日本に帰ってくる……。
Wの喜びにアタシはすっかり浮かれていた。
もっと、いっぱい焼いてよ。
ほら、もっと、その顔みせて……?
「聖さんってさ、キスがチョー巧いんだよねぇ〜。それに、すっごくやさしいの……。
怖いって言ったらずっとアタシの手を握ってくれちゃってね。聖さんの愛撫、すっごい気持ちよかったなぁ……。アタシ、何回もイカされちゃったもん。それに、アタシもいっぱいイカせちゃった。聖さんってイクときすっごい可愛い顔するんだよ。もう、二人で何回イッたかわかんないくらい萌えたなぁ〜。誰かさんと違って、絶対、アタシを泣かせるようなことなんてしなかったしー……」
これは、昨日さんざん泣かされたあてつけでもある。
公美さんは、キリキリと歯軋りしている。
くくっ。いい気味だ……。
アタシは、すっかり調子づいていた。
彼女の目の色が変わったことにもまるで気づかないくらいに……。
さんざん聖さんとしたセックスの自慢話を聞かせて、ふと、公美さんをみると背筋がゾワッとした。
テーブルに頬杖ついたまま、彼女は射抜くようにジッとこっちを見ていた。
「あとは? 聖子ちゃんの自慢話は、もうこれでもうおしまい……?」
アタシが「うっ」と言葉に詰まらせていると、強引に腕を取った。
「来なさい……」
「……えっ?」
「どうしたのよ、食べ終わったらって約束だったでしょ……?」
「なっ! 約束って……? そんなの、知らないよ……公美さんが勝手に……」
「知らないじゃないわよ。いいから来なさい……!」
なんか怖かった……。
とても怒らせてしまったみたいで。
どうしよう……。
そんなつもりじゃなかったのに……。
「く、公美さん、あの、洗い物しないと……。ほら、ねぇってばっ!」
「そんなのいいわよ、アタシが後でするから…………」
「で、でもさ……。あっ、仕事は? 早く、やらないと締め切りが………………」
「フッ……。それもそうだったわね……」
グイッと引張る腕の力が緩んで。
アタシは、ようやくホッと息をついた。
離された手のひらで胸を押さえると、心臓がバクバクとものすごい音を立てていた。
「そうでしょ。早くやりなって……。邪魔だったら、アタシは、帰るからさ……」
「ダメよ、帰さないわ!…………あー、でも、そうね。美鳩ちゃんにはちょっとお手伝いしてもらおうかしらね……」
「…………なっ、なにを……?」
笑った顔をしながら、ぜんぜん笑ったようにみえない恋人の表情にはなにか得体の知れない不気味さをみたいなものが感じられた。
部屋の中は、いつも適温にしてあるのでそんなに熱くはないはずなのにおでこからたらっと冷や汗が流れ落ちる。
「アタシの最新作の続編よ。泣き叫んでも誰もこないような山小屋のロッジに監禁されてしまった少女がね、ストーカー女に陵辱されるのよ。どういうふうにしようかって悩んでいたのよねぇ〜。すっごくエロティックな場面にしたくって……。でも、パソコンに向かっていてもぜんぜんイメージが沸かないのよ……。ねぇ、美鳩ちゃん、その監禁された女子高生の役やってくれる……?」
「…………い、や……」
ぶんぶんと首を振る。
そんなの冗談じゃない。
絶対にいやだ……。
アタシは、その場であとずさりする。
なのに、すぐに手首を掴まれて、グイッと彼女のほうへ引き寄せられた。
「あら、やってくれるわよね? だって、美鳩ちゃんじゃないのよ、アタシにさんざん仕事しろって焚きつけたきたのは……。明日に締め切り伸ばしてもらったけど、ホント困ってるのよ。やさしいやさしい美鳩ちゃんなら、もちろん手伝ってくれるんでしょ……?」
「うっ…………」
いつもキスを仕掛けるその唇は、皮肉な笑みを象った。
躊躇していると、空いていた指先で、ぐいと顎を取られる。
片手で動けないようにしながら、顔を近づけてきた。
キスされるのかと目をギュて瞑って身構えたら、口の端をベロンと撫でられただけだった。
「ここ、トマトソースが付いてるわよ。ほら、いい子だから、言うこと聞きなさい」
「………………やっ……」
色素の薄い眸に上から凄まれると、その圧倒的な迫力に思わず白旗を上げそうになる。
そうして、だんだんと目の前の人が恋人なのか、例の本の主人公の“ストーカーオンナ”なのか分からなくなっていった。
公美さんの部屋のはずが、いつのまにか山小屋風のロッジになっていて。
アタシは、監禁された胸の大きな女子高生に……。
現実と虚構の狭間で昂ぶる感情の揺さ振りに戸惑いを隠せない。
「あっ、ん!」
両の手のひらで、お尻のほっぺを鷲掴みされた。
そのままぐいっと引き寄せられて、顔がやわらかい胸に埋まった。鼻が潰れて息が出来ない。苦しい……。助けて。
すっかり震えあがった足元では、もう立っていられなくなって、そのままの体制でベッドのほうへずんずんと引きずられていく。
「ほら、いい子ね美鳩……」
ふくらはぎがベッドの縁に当たったところでようやく止まった。
そのまま、腕を回してギュと抱かれると、公美さんが、甘やかすように耳元にそんな言葉を唆す。
なのに、次の瞬間には突き飛ばすように乱暴にベッドに押し倒されて、頭の上で両方の手首を取られた。
剣呑とした気配を纏わせる彼女に、なにを言ったらいいのか分からなくてただ怯え震える。
そんな顔を見下ろしてくる女は、ひどく興奮したように喉の奥でくつくつと高笑いした。
「あらあら、また泣かせちゃったわねー。でも、すごくいい顔してる。そんな怯えた顔されるとゾクゾクしちゃうわ……」
眼球に力を込めて我慢しても、とうに堪えきれなくなったものが頬を伝っていくのをそう指摘され、「可哀想に……」とベロンと舌で撫でられた。
冷たい涙と生温い舌の温度差にガチガチと歯の音が噛みあわず、たらりと背中に嫌な汗が滴った。
「痛いことされたくないでしょ? だったら、大人しくしてなさい…………」
言いながら、すばやくなにかを巻きつけられる。
手首を赤いロープでぐるぐるにされて、気づいたときには、すっかり身動きが取れなくなっていた。
「……な、にこれ…………?」
最後には視界さえ奪われ、アタシは暗闇の中に一人囚われる。
「あっ、やっ、やだっ…………」
「だれが悪いのかな……?」
耳の中に、舌と一緒に吹き込まれた甘い毒のような声音。
プチンとなにかボタンが弾ける音と同じくして、胸の辺りがスーとなった。
「あ、…………やっ、やめてっ!」
「あら、美鳩ちゃん、ずいぶんいい格好ね……。ふふっ。どうしたのかしら、こんなに乳首立たせちゃって、まるでアタシを誘ってるみたいよ?」
「……やんっ、……それ、ちが…………っ…………」
公美さんが、そんな格好にしたくせに勝手なことを言う。
急に裸にされてしまった寒さなのか、それとも得体の知れない恐怖による寒気なのかさっきから身体の震えが止まらない。彼女が指摘した場所が徐々に形を変えてしまっていたことを示唆されて頬が痛いほど赤らんでいくのがわかった。
「ねぇ、アナタのここ、ずいぶんいやらしくなってるわよ……? 聖子ちゃんもビックリしちゃうんじゃないの? 触られてもいないのにこんなに乳首立たせちゃって……。昨日、散々苛めちゃったからかな、ちょっと腫れちゃってるみたい。ホントいやらしいわ……」
「いやっ、言わないで……よっ……」
吹き込まれる言葉だけで、すでに身体の奥が熱くなっている。
これじゃ、まるで、酷いことをされて喜んでいるみたいじゃない……。
こんな一方的なのはホントに嫌なのに、怖いのに、乳首の周りをぐるぐると撫でるだけでそこをなかなか触ってくれないとだんだん切なさが募ってくる。彼女の指を求めるように自然に腰が動き回った。
それを見た恋人が、くつくつと喉の奥で笑う。
「もう、いやっ、やだっ、やだよ、こんなの、公美さぁん、どこ…………?」
「…………こっちよ?」
顔を向けたほうとは逆のほうから声がした。困惑しながら唇を噛み締める。
煩わしいアイマスクを外したいけど、捕らわれて身動きが取れないのがひどくもどかしい。
バンザイの形のまま手首が一つに括られて、ベッドの支柱に括られているようだった。
かろうじて自由になる脚でもがけばもがくほど、ロープがきつくなって、その痛みに悲鳴を上げた。
「やっだ、っ、なによ、これ……ほどいて、よっ……!」
「あら、美鳩ちゃん。赤いロープがお似合いよ。こういうのもいいわね。参考資料にビデオ回してもにいいかしら……」
「い、や、そんな…………やめて…………っ……」
「ウソつきねー。美鳩は好きでしょ、縛られるの……。今日は、たっぷり苛めてあげるわね……」
「ん……あっ、やんっ、やだぁ、だめ…………ああっ!!」
膝頭を押さえこまれて、脚が勝手に広がっていく。
なにも出来ずにただ甘い悲鳴を上げるしかなかった。
「あら、こっちももう、濡れてるんじゃないのよォ……ホント、いやらしい子ね…………」
「……ひ、……ひどい、よっ……公美さん……っ……」
侮辱の声もどこか掠れて、彼女の興奮が伝わってくる。
アタシは、気でも狂ったようにブンブンと首を振った。
普段は、どうしたって甘い顔をする恋人は、エッチになると人が変わったみたいに意地悪になる。
そう。彼女には裏の顔がいくつもあった。
美人女流作家は表向きな姿で、実際には見事なまでなサディストだ。
しかも、女子高生好きのロリコン趣味なうえに、巨乳フェチ、緊縛愛好家でもある。その頭には“超”という文字がいくつも付くほどの超ど級の変態さんだって。
みんな騙されている……。
知らぬが仏ってきっとこの人のためにあるんじゃないの……?
そんな人を怒らせたらどうなるか、自分が一番よくわかっていたはずなのに……。
他の人とのセックスの話はさすがにマナー違反だった。今頃、気づいてももう手後れなんだけど……。
一通り暴れると、アタシは、ぐったりとベッドに倒れこんだ。
逃げられない……。
そう悟ると、肩を落としながら、これから始まる悪夢にただ唇を噛み締めるしかなかったんだ。
◇ ◇ ◇
逃げたい……。
でも、縛られて逃げられない。
お願い助けて……。
でも、助けてくれる唯一の人は、同時にアタシを苛める張本人でもあった――。
「やぁん、な、なにを、している、の、…………公美さん……?」
視界はまるで暗闇で、音だけが頼りになる。
耳を澄ませば、確かに人の気配はあるのに、どこにいるのかなにをしているのか分からないのが恐怖だった。
暗いのは、どうしたって苦手だ。
昔の厭なことを思い出すから……。
小さい頃、眠っていると、お父さんがよく部屋に入ってきた。
アタシの身体の上に跨って、悪戯をしてくるお父さんの顔を見ないように布団に被りながら、暗闇の中で歯を喰いしばってジッと耐えていた。
あの時といまとはぜんぜん違うって、頭では分かってる。
でも、なにかしゃべっていないと落ち着かなくて、彼女を求めるように震える声で何度も問いかけた。
「ねぇ、ねぇ、公美……さん?」
「はぁ〜。美鳩ちゃんって、縛られるといい表情するわよね。肌もこんなに艶っぽくなっちゃって……。そういえばこないだ、取材させてもらった縄師の先生が言ってたの……。何人もの女の子を縛ってきたけど、ときどき縛られて艶を増す子がいるんですって。それは、生まれながらに持っているものらしいわ……。美鳩は、きっとそういうタイプの子なのよね……」
「な、なによそれっ。そんなの知らない。勝手なこと言わないで! それより、目隠し取ってよ、お願い、暗いの怖いのォ…………」
洟をすすりながら涙声で懇願する。
縛りを解けとはいわない。
どうせ素直に従ってくれるはずなんてないのだから、そんなの言うだけ無駄だ。
でも、なにも見えないというのは余計に不安になる。怖い……。
それに、なんだか、とんでもないところをジックリと見られているような気がして落ち着かなかった。
でも、それも正解なのだろう……。
だって、アタシは縛られていて、その上目隠しもされてなにをされているのか見えないのだから公美さんのやりたい放題だ。
「あらヤダ、美鳩ちゃんたら大変よ。パンツから毛がはみ出ちゃってるわ……。
ダメじゃないの。女の子なんだからそういうところは気をつけないと……」
アタシの声をさらっと流して。
女は、ぜんぜん関係ないことを言ってきた。
「それじゃ、アタシが、美鳩ちゃんのここ、綺麗にしてあげるわね。ちょっと、待ってなさい……」
「えっ……。なっ、やっ、やだ、公美さん、やだってばっ!」
あげく、この女は証拠にもなくとんでもないことを言い出す始末で……。
洗面所のほうに行った彼女はすぐに戻ってくる。
恋人の重みにギシリとベッドが軋む。アタシは、大きなベッドの上で小さくなりながら怯え震えた。
彼女は、簡単にギュと閉じていた脚を開かせると、その間に自身の身体を入れて閉じられないようにした。
そして……。
「ジッとしてなさい……」
「あっ………!!!」
そう言うと、アタシの下着を一気に脱がせてしまった。
身を捩って暴れると、公美さんは構わずに、薄い下生えをやさしく撫でた。
(ウソ……。公美さんってば、本気なの? 本当にするの? まさか、そんなことウソでしょ……。
いったい、なに考えているの? 信じられないよ……)
「やっ、やだぁ、なにするの、いやよ、公美さん、やめてったらっ!」
「だいじょうぶ……。ここをちょっと綺麗にするだけよ。女の子の身だしなみよ?
いい子だからおとなしくしてなさい……」
「やっ…………いい。そんなの後で自分でやるって……!」
「ダメよ! それより、暴れたら危ないわ。ハサミ持ってるんだからね……」
「いやっ、やだ、やだっ、お願い、そんなことしないでっ!」
ばたばたと必死で抵抗する。
いくら恋人でもそんなことまでされるのは絶対にイヤだった。
ひとしきり暴れ狂うのを待つと、彼女は、アタシの太股をぴしっと叩いて、大人しくさせた。
「ほら、美鳩ちゃんったら、危ないってば。怪我しちゃうわよ? いいの? ここ、
血だらけにして病院に運ばれたい?」
「………………いや」
そんなの考えただけでもゾッとする。
あんな場所を衆人にみられるなんて、だったら死んだほうがましだよ。
でも、恋人にそういうことされるのもどっちもイヤだった。
「お願い……。やめてよォ、公美さんっ…………」
「ん〜」
いくら懇願しても、彼女は譲らなかった。こういうとき、どうしたって、アタシの立場は弱くなる。
最初から確立されていた絶対的な主従関係。
こういうやりとり事態が無駄なんだって、頭の隅っこのほうでは理解していた。
やりたいことは、なにがなんでもやり通すが信念の人だから……。
すっかり諦めてため息をつくと、彼女は子供でもあやすようにアタシの頭をよしよしと撫でた。
そうされると、条件反射のように言うことを聞いてしまいたくなることを知っているんだ。
悔しいのにもう涙も出てこない……。
持ち上げられたお尻の下になにかクッションのようなものがあてがわれた。
膝の裏を持たれて脚を大きく開かされる。自分でもよく知らない。いや、彼女だけ
しか知らないところを露にされる。上に向いた性器になにか冷たいものが触れてきた。
腰がビクンと跳ねる。
「美鳩ちゃんいい? 始めるわよ? 怪我したくなかったら、いい子にしてなさい?」
ハサミだった……。
公美さんは、アタシの薄い下生えを指先で軽くすくうとチョキチョキと子供の髪を切るみたいにアソコの毛を切り始めた。
なんか、もう信じられなかった。
恋人に、こんなことをされるなんて……。
今の状況を想像しただけで舌を噛んで死にたくなる。
目隠しをされていて、逆によかったのかもと思うくらい……。
「あんっ、なに、それ、冷たい……よっ……」
「ちょっと冷たかったかな? ごめんね。でも、これ塗らないと美鳩ちゃん皮膚
弱いし、剃刀まけしちゃうでしょ……」
剃刀……って。
そこまで、本格的にするの?
アタシは、なにも言い返せずに唇を噛み締めながら、その屈辱に耐え続けた。
彼女は保湿性のあるジェルをアタシのそこに丹念に塗りつけた。
すりこむようになんどもされているうちに変に息が上がっていくのを感じた。
これは愛撫じゃない。分かっているのに心臓がおかしなほど乱れていくのが止まらない。
しかも、公美さんの指はわざとみたいに際どいところばかり触れてくる。
一番敏感なクリトリスを小指で突付いたり、膣穴をさりげなく触ってみたり……。
そのたびに強い電流のようなものが全身に流れて、口から変な声が出てしまいそうになるのを必死に堪えた。
でも、彼女もそれに気づいているはずだった。
アタシの息が上がっていることを……。あの部分がすっかり潤み始めていることを……。
ひどい……。こんな悪戯ないよ。恥かしい……。
アタシは、外に滲み出していないことをジェルで誤魔化されることだけをひたすら願った。
「……やっ……んんっ……」
指先で性器が広げられた。とんでもないところの皮膚を引張られて、慌てて声を飲み込む。
気にしたふうでもなくジョリジョリと音がする。
(ウソ……そんなところにまで毛があるの……?)
「あん、ちょ、ちょっと、公美さん? そ、そんな……、そこは生えてないでしょ?」
「ん〜? そんなことないわよ。確かに美鳩ちゃんのここは薄いほうだけど、こっちのほうまで生やせとくのはどうかなぁ〜。ね、どうせだから、全部綺麗にしましょ……」
(どうせだからって……。)
今日の公美さんには、なぜだか有無を言わせない雰囲気があった。
アタシは、それ以上なにも言い返せなくて、また唇を噛み締める。
その間にも、彼女は構わず刃をあててくる。
無駄な部分の毛を左右均等に。その部分をさらに指先で大きく広げて、ギリギリのラインまで。アタシは、すっかり公美さんのなすがままだった。
どれくらい掛っただろうか。時間はずいぶんと経っている気がする。
いろんな意味で疲れ果てて、すっかり抵抗する気力も失せていた。
赤ちゃんみたいにだらんとだらしなく両足を広げながら、早くこの悪夢が終わってくれることをただひたすらに願った。
最後に温かいタオルでその部分が包まれる。
ようやく終焉を迎えたのだと安堵した。
「お疲れさま、美鳩ちゃん……。すいぶん綺麗になったわよ?」
「………………」
ようやくアイマスクが外されると、彼女が笑顔を向けてきた。
それにさえ、アタシはなにも言葉を返せなかった。
体力が消耗してぐったりだ。
「ほら、見えるかな……?」
でも、彼女が、美容師さんが最後にするみたいにそこに鏡をあてて映したとき、あんぐりと口が空いたまま塞がらなくなった。
(なっ、なっ、なんでー。ウソでしょ。ウソー!!)
あるはずの場所に一本も毛が無くなっていたのだ。
全く。ツルツルに……。
こんな状態のそこは長らく見ていない。小学生のとき以来……?
アタシは公美さんと公美さんが持つ鏡を交互に見ながら呆然とする。
「ほら、ずいぶん可愛いくなったでしょ……? よく見て。美鳩ちゃんのここ赤ちゃんになっちゃったみたいよ……」
盛り上がったそこをプニプニと抓んで遊ぶ。
アタシは彼女の手から逃れるように腰を使って暴れた。
ぶわっと涙が溢れてくる。
恋人の行動が信じられなかった。
(どうして、どうして、こんなことするの……アタシがなにをしたの?)
エッチな悪戯なら、今までだって何度となくされてきた。少しだけ我慢すればすむ。
自分もそうされることを感じていたことも否定できない。
でも、こんな取り返しのつかないことをされたのはさすがに始めてだ。
「ひどいよ、公美さん、ひどい、なんで、こんなこと!」
ようやく正気に戻ると脚をバタバタさせながら大声で喚いた。
「ん〜〜?」
返ってきた呑気な声に、さすがのアタシの血管もブチッと切れた。
「ぜ、ぜんぶ剃るなんて、アタシ聞いてないよっ! なんで、なんで、こんなことしたの? 目隠しして、分からないからって、縛って、抵抗できなくして…………。
信じられない。こんな悪戯ってないよ、公美さんの馬鹿っ、やりすぎだよっ!」
「えー、なに、そんなに怒ってるのよう!」
「怒るに決まってるじゃん! どうするのこれ……」
本当にどうしようだ……。
こんな恥かしい格好で、アタシ生きていられないって。
「アタ、アタシ、来月、修学旅行があるんだよ……。これじゃ、みんなとお風呂入れないじゃんっ!」
「そういえば、自由行動で九州の温泉街に寄るとか言ってたわね。でも、いいじゃない……」
「なにがっ! ぜんぜんいいわけないじゃんっ! 変じゃない高校生にもなってこんなのっ!」
「そ? こんなに可愛くなったのに……。じゃ、そうね……。アタシ、実は生えない体質なのとでも言えば、どう……?」
「なっ、なに、言っちゃってんの、他人事だと思って……。ふざけないでよっ!」
彼女は、悪びれるどころか、けろっと言ってのける。
対象的にアタシの顔はヤカンが沸騰したように蒸気を出した。
それなのに、相変わらずこの人ときたら……。
「あら、でも、アナタが悪いのよ? 美鳩が聖子ちゃんの話なんかうれしそうにするから……」
「はあ? な、なによそれ、ど、どういうことよ……!」
彼女は、手首の紐をするすると緩めた。
その表情を一字一句を見逃さないように口元を凝視した。
「こうでもしないと美鳩ちゃん、聖子ちゃんに持ってかれちゃうと思ったのよ。これなら、恥かしくてパンツなんか脱げないでしょ?」
「なっ、なにそれ………………ホント、信じられない…………」
なんという言い草だろう……。
しかも、この大人は、あれもこれもすべてが計算づくだったんだ。
目隠して反抗できないようにって縛ったのも……。たぶん、パンツに毛がはみ出てるとかなんとかっていうのもすべて公美さんのでっち上げ……。
そうとも知らずに言いなりになって、怯えたり、涙を流してみせてたかと思うと。
あげく…………。
「意地悪なこと言ったからちょっと、脅かしてやろうと思ってただけなのに、あんまり、美鳩がいい顔するから、止まらなくなっちゃったのよ……」
ぜんぜん悪びれる様子もなく赤い舌をペロリと出してみせた。
アタシは握り締めた拳を力なく落とす。
もう、怒る気力もなかった。
いまさら怒鳴り散らしたところで、この人が改善するわけでも、無くなった毛が生えてくるわけでもないことを悟ったから。
ただ、じわりじわりと絶望感に打ちひしがれる。
ごめんね。と言いながら、ぜんぜん反省していない恋人が、「そんなに泣かないでよォ〜」とアタシをギュと抱きしめてくる。
そして、いい加減噛みすぎて鬱血した唇を「チュ」とやさしく盗まれた。
アタシはというと、すっかり放心状態。なんの反応も返せずされるがままだ。
公美さんに言わせると。
こうなったのは全部アタシが悪いんだって。
聖さんのことで揶揄ったから。公美さんに意地悪なこと言ったから。それが可愛くなかったから。
そう、自業自得ってヤツね……。
あははは。それで、アソコの全部の毛を剃られちゃったアタシって、かなりまぬけじゃない?
ていうか、なんで、こんな人と付き合ってるんだろうね……アタシ。
もう分かんないよ……。
「ところで、美鳩ちゃんは、アタシと聖子ちゃんの、どっちが好きなの……?」
耳の傍で意地悪く問いかけられて、初めてこの人に殺意を覚えた。
この状況でこの質問を投げかけてくる公美さんは、鈍感なのかただの馬鹿なのか。
…………頭がいいのって、実は考え物なのかもしれない。
いい加減にしろとさすがに怒鳴り散らそうと身構えたけど、その表情をみて、ハッと押し黙った。
悪戯する子供みたいに唇を皮肉にひん曲げながら、でも、その薄茶色の瞳はいつになく真剣だった。
アタシは、ストンとお腹の下に憑き物が落ちたみたいに冷静になる。
聖さんと公美さん……?
そんなのどっちが好きかなんて分からないよ。
だって、公美さんと聖さんの好きは、同じようでぜんぜん違う別物なのだ。
でも、どっちも大好きで、アタシには無くなっては困るもの……。
このあやふやな気持ちをどう言葉にしていいのか、成績優秀な恋人と違って、国語力の乏しいアタシには応えかたが分からなかった。
「アタシは美鳩ちゃんだけなのに……。そこは、はっきり言えないのね……」
寂しそうに口を尖らせるのでますます焦りを覚える。
「ち、ちがうってっ、公美さんは恋人でしょ? 聖さんは、大事な友達なの……」
「ふ〜ん……。でも、それって、どう違うの……?」
ホント、どう違うんだろうね……。
数分考えて、ようやく結論が出た。きっとこういうことなのだ。
「あのね、……聖さんにね、もし、恋人が出来てたら、よかったねって喜んであげられるけど、公美さんに、もし、アタシ以外のそういう人が出来たら、包丁で公美さんのことぶっ刺しちゃうくらい悲しい…………」
思ったままの気持ちをそのままストレートに口に出すと、一瞬、呆けた彼女は、次の瞬間ブハッと噴出した。
「ひどーい、なんで、笑うの〜!」
言えというから、ありのままの正直な気持ちを曝け出したのに……。
笑うなんてひどいっ!
「あー、ごめんごめん。だって、美鳩があんまり可愛いこと言うから……」
ごめんね、ともう一度謝られて、そのまま腕の中に抱きしめられる。
公美さんの首筋から甘い匂いがする。
やわらかい手のひらが、「ごめんごめん」と慰めるように背中で揺れた。
いつから、この人に恋心を芽生えさせたのかなんてはっきりとは分からない。
痴漢の悪戯を仕掛けられているうちに、気づけば好きで好きで堪らなくなった。
触られることを望み、いつしか、心まで丸ごと手に入れたいと思うようになった。
公美さんは、アタシの今の言葉が可愛いと言った。ねえ、それ本気で思っているの……?
だとしたら、大きな間違いだよ。
アタシはアナタへの気持ちが大きすぎてときどき怖くなるんだ。
公美さんが描く本の、一途に想いすぎて、ストーカー女に成り果てた『女』のほうが、よっぽど自分に似ているんじゃないかって思うくらいに……。
チョンて唇を奪われた。
小鳥のさえずりみたいに何度もされているうちに、舌が入ってくる。
子供のじゃない濃厚な大人のキス。
それを一から教えてくれたのもこの人だった。
ピチャピチャと濡れた音を立てながら、しばらくすると、彼女はジッとアタシを見つめてくる。
「好きよ、美鳩ちゃん……大好き……」
「…………う、ん。アタシも…………」
あぁ照れくさい……。
こういうのが一番苦手だ。アタシの前世はたぶん、古風な日本人なのだ。
でも、言葉にしなければいけない状況っていうのはきっとある。
アタシがずっと感じてたように公美さんも二人の関係を不安に思っていたとしたらそれは、申し訳がなかった。
アタシは公美さんほど弁が立つわけじゃないし。
小さく囁くようにそう言うと、ギュと抱きついた。
彼女は、それでもうれしそうに笑ってくれる。
「ふふ。ね、このまま抱いてもいいかしら……?」
「なっ、………そんなこといちいち確認しないでよっ!」
やっぱり恥かしい女だ。
文才のあるやつはこれだから厭なんだ。さらっとキザなことでも平気に言えちゃう。
なんだか小説の台詞みたいに思えてくる。
それに、いつもは、勝手にやりたい放題するくせにさ……。
「でも……。なんか、今日の美鳩ちゃん、初めてシタころの美鳩ちゃんみたいで、初々しいんですもの。あっ、こっちも、初々しいけどね……」
「なっ…………。バカッ! 変態! ロリコン女!!!」
もう、なんてことを言うのよ!
ていうか、思い出した。アタシ、公美さんのこと怒ってたはずなのにいつの間にかこうして……。
いつもころっと騙されちゃう。それは、出逢った頃から変わっていなかった。
悔しいのに、悪戯っ子みたいなこの笑顔を見ちゃうとどんなことされても許せちゃうんだ。
こんな人を好きで好きで堪らない、自分のほうがよっぽど馬鹿なんだと思った。
「変態? あらそうよ……。でも、美鳩ちゃんだけのね!」
そう言われてギュと抱きしめられる。慌てて胸を押し返すと彼女はクスリと笑った。
下に伸ばしてた手に敏感になってしまったところをツンツンと弄られて、腰が大きく揺らいだ。
(うわっ、なんか…………)
毛が無くなったというだけで、こんなに感じ方が違ってくるものなの……?
異様に火照る頬をやさしく撫でられながら、伸ばした舌に唇を舐められた。
「可愛いい……ぜんぜん崩れてなくて、ちっちゃい女の子みたいよ? ほら、美鳩ちゃん見える?」
「やんっ、やだっ、そんなこと、言わないで……見ないでよっ!」
「ふふ。そんなに恥かしがっちゃって。でも、中はこのとおり大人なのよね……。すっごくいやらしいお汁がいっぱい溢れてるわよ。…………ねぇ、美鳩、こんな恥かしい場所誰にも見せちゃダメよ? 温泉も入っちゃダメ。いい、わかったわね?」
「………うん」
そんなの言われなくたって入れないよー。
「温泉に行きたいなら、アタシがいくらでも連れてってあげるから……」
なんだかもう、しつこいくらい言ってくる。
もしかして、これも嫉妬なのだろうかって。
公美さんたら、聖さんにだけじゃなくて、もしかして、アタシのクラスメイトにまで嫉妬しているの……?
アタシが、クラスメイトとよからぬことをするかもなんて思ってるとしたら、それは、取り越し苦労もいいところだよ。
女子校だからって、別に女の子が好きな子がたくさんいるわけじゃない。
むしろ、そんなのは少数派だ。ていうか、クラスメイトにそんな気持ちになるのなんてまずありえないって。
嫉妬からここまでしてしまう恋人の行動はかなり行き過ぎがあるし、よく考えれば怖いことだと思うけど、だからって、彼女を嫌いになるということにはならない。
相手を思いすぎて暴走してしまうのは、自分にも身に覚えのある感情だった。
(ていうか、アタシなんてもっとひどいかも……。)
公美さんを昔からよく知ってるってだけで公美さんの本を出してくれたお世話になっている編集長さんにまで嫉妬してるもの……。
公美さんの原稿を取りに来る綺麗な担当編集さんにも……。
公美さんといつの間にか、メールのやり取りをしていた親友の聖さんにまで嫉妬の炎は飛び火している。
だって、アナタのことが好きだから。好きで好きでどうしようもないから……。
それは、自分だけの怖い感情なのだとずっと心の内側に閉まっておいたけど。
公美さんにもそういう感情があるんだって分かってすごくホッとした。
と、同時に年上の恋人が、アタシにだけ見せる強い感情が堪らなくうれしかった。
恋する気持ちを秤にかけるなんてやりかたは強欲なのかも……って思う。
けれど、いつだって相手よりも優越感に浸っていたいっていうのが本音だ。
まだ、好きでいてくれている。こんなにもアタシは求められている。
そう思うだけで、ずっとお腹の中でもやもやしてた不安な気持ちが一気に吹っ飛ぶくらいひどく安心できた。
アタシは、その胸に自分からギュて顔を押し付ける。
「ふ〜ん。今日は、ずいぶん可愛いわね……。毛が無くなっちゃって子供かえりでもしちゃったのかしら……。それじゃ、アタシたちも初心に戻って、そろそろ、する……?」
「…………バカ……」
トンて胸を頭突きした。
それでも、ぜんぜん力なんて入ってないのだけど……。
いつもみたいな言葉のキャッチボールのやりとりは好きだけど、いまは、そんな気分じゃなかった。
早くキスしたくて、早く熱くなったこの身体をなんとかして欲しくて。
見上げると、視線が絡んだ瞬間、どちらからともなく顔を寄せ合って唇を重ねた。
触れるだけのキス。
しっかりと腕をまわして抱き合ったままのキスは、ちょっと照れくさいけどやっぱり気持ちいい。
でも、脚の間がウズウズしてる。こんなんじゃ足りない。もっと気持ちよくなりたい。
あの柔らかい舌で口の中をかき回して欲しい……。
でも、唇は、おでこの辺りを彷徨っていた。
「…………ねぇ、公美さん?」
「ん〜?」
「……もっと、……もっといっぱいキスしたいの……。おねがい、キス、したいよォ……」
潤みきった目を向けて、ツンツンとシャツの袖を引っぱる。
なんだかアソコと一緒で、ホントに子供に戻っちゃったみたいな声音だった。
アタシの変わりように一瞬だけ驚いた顔をした恋人は、すぐに飛び切りの笑顔を見せてくる。
でも、鼻を伸ばしたような顔から慌てて困ったように取り繕って……。
「あら。でも、怯えた顔させなきゃ話の内容が変わっちゃうんだけどなぁ……」
また芝居がかった台詞を吐く。
いつまで続ける気よ、ホントにもう!
そう言いながらも、うれしそうに首を傾けてきた。
お望みどおり、のっけから舌を絡ませての激しいキス。
頬を両手で挟まれて逃げられないようにしながら……。
唾液がどちらのものなのか分からなくなるくらい夢中で貪った。
何度となく彼女の愛撫には泣かされてきたけど、この人とのキスという行為が一番好きかもしれないと思うくらいいつだって公美さんの舌はやわらかくて気持ちいい。
くたくたと力が抜けて力が入らなくなった指先で、アタシのせいで皺くちゃになったシャツをギュって掴む。
「……気持ちいの?」
「…………ッン。」
火照った頬を包み込むようにまっすぐ目を向けてくるのに子供みたいにカクンと頷いた。
「キス、好き……なの?」
流れた髪を耳に掛けられて。
甘い声音が耳たぶを擽る。
「う、ん。好きぃ……。公美さんの唇、やわらかぁいから……」
「ふふ。美鳩、なんだか赤ちゃんみたいよ……。もっと欲しい? 欲しいならおねだりしなさい……」
やさしく目を細めて、ゴロゴロと猫にするみたいに喉のあたりを擽られた。
ずっと公美さんの傍にいられるのなら、アタシは赤ちゃんにでも猫にでもなっちゃうよ。
くすぐったそうに首を竦めながら、トロンとした目を向ける。
「……うん、欲しい。もっと……公美さぁん、もっとちょうだい……」
「いい子ね、美鳩……」
「ん、ふ、あん。…………んやあぁッ!!!」
ベロをそのまま飲み込まれちゃうくらい強く吸われた。
腰が自然と持ち上がるほど。変な声がどこからともなく零れちゃう。
腕が回ってしまうほど細い背中にきつく抱きついた。もう、境目も分からないくらいに。
その妖しげな水音は、ベッドの上で裸のまま互いの身体を絡ませてからも飽きることなく続いていた。
(つづく)
北原さんが描く二人とは、だいぶ違っちゃっているかもしれません。
あれから一年後くらいの美鳩×公美の設定です。
美鳩ちゃんのツンデレな感じが出したくて、こんなんになりました。
無駄に長くてすみませんです。
あ、まだ、続くみたいなのですが……。(汗
ハルヒ。
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